『陽の鳥』 著者:樹林伸

希代のヒットメーカーが挑むメディカル・エンタテインメントを連続公開 VOL.1

 この日の花は、昨日替えたばかりの少しピンクがかった紅薔薇だった。

 ゲームのジョイスティックを大きくしたようなハンドルで操るマニピュレーターの先には、口径一〇マイクロメートルのガラス管がセットされている。肉眼では見えない細さにまで先端を引き延ばして作られたガラス管が、熟練した手先の操作に合わせて、顕微鏡の丸い視野の中で生き物の触角さながらに動き、半透明な泡のように見える細胞の塊、胚盤胞の内部に差し込まれていく。

 胚盤胞とは一般的には卵子が受精して五~六日ほどで到達する段階を言う。精子を内部に取り込んだ卵子はただちに細胞分裂を開始しエンブリオ---胚と呼ばれる状態になり、二日ほどで四から八分割、四日目には一六の細胞に分かれて、次に胎児の前段階である胚盤胞へと成長するのだ。

 もっとも、森彦が顕微鏡で覗いている胚盤胞は、厳密に言えば受精卵のそれではない。受精卵が読んで字の如く精子を受け入れた卵子だとするなら、この胚はまったく別の代物だった。

「最後にもう一度だけ覗いてみるか、名嘉城君」

 ここでいったん手を止めて、隣でお預けをくらった犬のようにそわそわしている助手の名嘉城数矢に声をかけた。

「はい、お願いします」

 森彦がポジションを譲ると、名嘉城はよけいな振動を機材に与えないように気を遣いながら、そっと顕微鏡を覗き込む。