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天安門事件から30年、中国の民主化はなぜ失敗したのか

学生たちが夢見た「自由」はいま…

「共産党打倒」は民主化の近道か

5年前の2014年6月4日、東京で「天安門事件二十五周年東京集会」が開催され、『チャンネル桜』の水島総・代表、田母神俊雄・元航空幕僚長らが名を連ねた。日本では中国の民主活動に関する集会は、反中国を標榜してきた保守系団体が主催するケースが多い。

ここで中国問題評論家の石平氏が講演した。彼は30年前、留学で神戸に来ていて、テレビ報道で天安門事件に接したといい、「何の罪もない。ただの純粋な愛国青年が殺された。あの日を境にして、中華人民共和国を自分の中で切り捨てた」と切々と語った。そしてそのまま日本に帰化する選択をしたという。

石平氏は「民主化だけでは足りない。中華思想、中華帝国、妄想を打ち破らなければならない。諸民族の脅威になる、諸悪の根源、共産党政権をつぶす」と訴え、会場から喝采を浴びた。

石平氏の感情は非常によく分かる。あの世代の中国人は、事件に関してみなどこか傷を負っている。中国本国の体制の中にいる人も含め、経済発展などマクロ的な観点は別として、誰一人として天安門事件を肯定する者はいない。だが語れない。「六四(6月4日:リウスー)」とつぶやき、口を曲げて「チッ」という音を立て視線をそらす。

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しかし民主化を求めるのに、共産党や中国を打倒することはけっして近道ではないと、筆者は思う。あのまま倒していれば、フセイン政権が打倒された後のイラクのように暴力と騒乱を招いていただろう。

また、批判も国内の融和派、改革派との連携が必要だ。うまくやらなければ、逆に強硬派を利して、彼らを隅に追いやることになりかねない。

民主化を可能ならしめるもの

中国を民主化するにはいくつもの条件がある。中国で今起きている問題を考えながら、以下に整理した。

まず、改革を行うためには指導者の権力の掌握が必要だ。政権が強くなければ何もできない。

貧富の格差を小さくして既得権益を手放す人々が受け入れやすくする。そのためには社会の底辺の人たちの生活レベルを上げなければならない。

その上で、発言力の強い、抵抗勢力、軍や利権集団、反対勢力を取り込む。官僚や警察に高い倫理意識を持たせる。メディアや司法部門が、権力を公正にチェックできる環境を整える。

民衆の人権意識と問題意識を高め、お互いの不満や異論を尊重できる環境をつくる必要があるだろう。

 

事件前後の北京

今から30年前、天安門事件が起きた当時、筆者は会社の派遣留学で北京にいた。

冷戦時代、改革を求めた民衆は自らの国と反対の政治制度、つまり中国の場合は米国に理想を求めていた。天安門事件の主役となった大学生たちは、社会の「ほんの一握り」の超エリートで、意識は高かった。強烈な不満をためていた。

格差拡大の中で、富にあやかれるのは「別の一握り」だった。民主化運動に発展した背景は、社会主義大国の転覆を狙う米国の画策が効いたこと、そしてソ連が民主化したことが大きいといえよう。だが、それ以外に民主化が成功する条件はそろっていなかった。

学生たちの夢は共産党員になることではなかった。英語のTOEFL(托福:トゥオフ)で良い点を取り、憧れの米国に行くことだった。

大学は全寮制だった。夜が明けると皆、グランドで教科書の暗唱に励んでいた。だが、外国に行ける者は限られ、彼らは狭い窓から外の世界を見ていた。

計画経済体制で、将来を自分で描けない。アルバイトもできない。カネがないので街にはめったに行けない。都心へ行くことは「買い物」を意味し、小さな妬みを買った。

彼らの失望は、一緒にいた筆者ら外国人と交流することでさらに広がっていた。筆者が使用していた日本製ボールペンは当時、日本円で100円、つまり人民元で5元に相当すると聞いて、友人は落胆した。一般中国人の平均月収はわずか3000円(150元)の時代だった。

北京の都心にあるドルショップや外資系高級ホテルには、一般の中国人は入れなかった。しかも外国製品の購入や、外国人が使用するための外貨兌換券と一般の人民元との二種類の通貨が流通し、実勢レートは2倍もの開きがあった。

一方で、一部の官僚やブローカーがそういうところに出入りして、甘い汁を吸っていることも知られていた。酒は、マオタイ酒などが接待用として高騰し、「私の毎月の給料はこの酒の値段の3分の2だ」などと言い交わされていた。