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子供は30人!京急沿線を暗躍した「ケタ外れの怪人物」木村荘平伝説

知られざる「性経一致」のビジネスマン

時は明治。日本の街に「電鉄」が次々と生まれていったのは、実は神社仏閣と、そこをとりまく「怪しい人々」のとんでもないエネルギーがあったからだった。

羽田空港へ行くとき、京急電鉄を利用すると通過する「穴守稲荷」という神社にも、ワイルドな明治の実業家をめぐる秘話があった。知られざる日本近代のドラマを描いた好評書籍『電鉄は聖地をめざす』(講談社選書メチエ)から、穴守稲荷を"巨大聖地"に仕立て上げた「桁外れの奇漢」木村荘平をめぐるエピソードをおとどけする。

ある小さな神社と謎の男

大田区羽田にある穴守稲荷といえば、かつて羽田空港ターミナルビルの駐車場に鳥居だけが建っており、これを動かそうとすると祟りを受けるなどとよく語られていたことをご存じの方も多いだろう。

第二次世界大戦後、米軍は羽田空港を拡張するため、穴守稲荷とその周辺の家屋を強制的に撤去した。その際、作業員がけがをしたりブルドーザーが横転したりと、不思議な事故が相次いだという。

 

つまり、穴守稲荷はブルドーザーをひっくり返すことができるほど、すさまじい霊力をもっていると信じられてきた。だから、さぞ古い由緒をもつ神社だと思うかもしれない。

だが実際には歴史はそれほど古いものではなく、実質的には近代になって出現した非常に新しい神社である。明治10年代、それまであった小さな祠(ほこら)だったところに、近所の人々によって社殿が建てられ、穴守稲荷神社として認可されたという。

穴守稲荷(CC BY-SA 3.0, Photo by Aimaimyi)

そんな東京の片隅にある小さな神社であった穴守稲荷が、明治20年代半ばになると急激なスピードで拡大を遂げ、明治30年代半ばには東京、横浜だけで講社数150、講員10万人以上を数えるようになった(「講」とは、同じ信仰をもつ人々が集まってつくる結社のこと。江戸時代から、伊勢参りや富士登山を講組織が担っていた)。

それまでローカルな神社であったのに、10万人規模の講を組織化し東京中から大量の参詣者を集められたとは、にわかには信じがたいことである。

実は、その急成長の陰には、穴守を宣伝する内容の歌舞伎を浅草などの繁華街で上演するという「大仕掛け」があった。なぜ、小神社がそれほど大掛かりなプロモーションをなし得たのだろうか。

その謎は、一人の人物の存在に行き当たることで解き明かされた。東京における穴守講の中心的存在「東京元講」の元締めとなった木村荘平である。