「海外だとすっぴんで歩ける」

一方で、「日本だとためらうのに、海外だとすっぴんにタンクトップで出歩ける」と言う女性は多い。

わたしも同じで、ドイツではキャミソール1枚で出かけるし、ヘアアイロンで髪を整えずにカフェに行くし、接客業でもだいたいすっぴんだった。気にする人は、だれもいない(さすがにドレスコードの場は別だが)。

ずいぶん前、首元が大きく開いているTシャツを着てリュックを背負ったところ、Tシャツがリュックにひっぱられてブラジャーが丸見えになっていたことがあった。それに気づいたわたしは顔を真っ赤にして、女性を含めた友人たち数人に「なんで教えてくれなかったの!?」と言ったのだが、みんなは平然と「気にしてなかった」と言っていた。

たしかに、真夏にもなると、下着丸見え、透けまくりの格好をした女性や、上半身裸の男性がふつうに歩いている。杖をついたおばあさんが、ショッキングピンクのタンクトップを着ていることもある。でも、みんな基本的には無関心。

こういったちがいに関して、「外国人は他人からの視線を気にしないから」「顔のつくりがちがうから」という意見をよく見かけるし、それも一理あるだろう。羞恥心のボーダーラインは、たしかに日本とはちがう。

でも一番のちがいは、「容姿に口を出してくる人がいるかどうか」だと思う。他人が批評してこないから、自由に、自分らしい外見でいることが許されるのだ。

「自分の外見が好き」でいいじゃない

自分を魅力的に見せるための努力は素敵だし、外見を磨くことで自信をもてることもある。実際、外見がいいと得することも多いだろう。

毎年日本に帰るたびに、綺麗なファッションに身を包み、ばっちりお化粧をして、手の込んだ髪型をした女性たちを見ると、「きれいで素敵だなぁ」と思う。美しくあろうとすることがまちがってる、とは思わない。

でもそれはあくまで自発的にやるべきことで、他人が期待したり、ましてや強制したりすることではない。他人の見た目をとやかく言うのも、(あきらかに健康を損なっている場合などを除いて)余計なお世話だ。

外見をどうこう言われれば、否が応でも自分の見た目が気になる。外見への努力を求められれば、みんな「もっときれいにならないと」と自分の容姿に否定的になる。そして少しでも努力を怠れば、「デブ」「ブス」「劣化」と言われる。他人の外見に、そんなに厳しくしなくてもいいじゃないか

あえて書くけど、わたしは自分の見た目が好きだ。「客観的に自分をかわいいと思うから」ではない。元モーニング娘。の高橋愛さんのインスタを見るたびに「こんな外見になってみたい!」とは思うけど、自分の容姿は、それはそれで愛着がある。

ドイツまで持ってきているモーニング娘。ライブDVDの中でも高橋愛ちゃんが現役時代のもの。中央は高橋愛ちゃんの卒業ライブ。「こんな容姿になりたい」と憧れることと「自分の容姿が嫌い」を一緒にしなくてもいいのではないだろうか 写真提供/雨宮紫苑

この外見を好きでいてくれる親やパートナーがいるのだから、自分も自分の見た目を好きでいてあげたい。それだけ。

自分の容姿を受け入れて、好きでいることは、自分自身を大切にすることでもある。「ブス」と言われて「ひどーい」なんて笑って流したくないし、「ほらわたしってブスでしょ」と笑って言う人を見るのもつらい。そんなことないよ、みんな最高だよ。

性別がどうであれ、実際の外見がどうであれ、自分の外見に自信があろうがなかろうが、「自分の見た目が好き」と言える社会がいい

そのために、現在許されている安易な外見や容姿への言及には気をつけたいし、他人からの批評よりも「自分が望むすがた」でいることを優先させたいと思う。