フリー編集者の小西恵美子さんは、幼いころから母がリウマチに苦しむ姿を見てきた。そして彼女自身も24歳のときにリウマチを発症。当時の医療で薬漬けになりながら治らなかった母の姿を見てきた小西さんは、「太く短く」生きる決意をし、雑誌『婦人公論』リニューアルの仕事に没頭していた。

発症して30年経った今、小西さんは一番体調が良いのだという。ただし、その状態にたどり着くまでには、小西さんは長い年月を要した。「太く短く生きていた時代」に、「もう海外には行けないかもしれない」という思いから、人に誘われるままに海外を旅してまわったことが、「変化」のきっかけだった。連載第4回では、ハワイへの旅行で痛みを感じなかった体験から「逃避行」を続けたことからお伝えする。

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再び海を求めてタヒチに

「タヒチに行かない? ホテルボラボラも予約してあるの。実は夫と行く予定で代金も振り込んだのに、急な転勤で東京に戻ったの。ホテル代はいらないから、飛行機代だけお願い」とニュージーランドのオーランド在住の友人から電話がかかってきた。

校了の予定を見ると休めないわけではない。この機会を逃すとタヒチには一生行かないだろう。舞い込んだのは、私に行くように促しているに違いない、行くことになっていたと都合のいい解釈をした。

取材や入稿の準備を前倒してやらなければならない。リウマチの痛みをいつものように痛み止めのロルカムを処方された2倍飲んで痛みを抑えた。肩がパンパンに張ってコリの塊が出てくるとシップ薬のモーラステープを何枚も気が済むまで貼った。そして出発の前日まで睡眠時間を削って仕事をした。

成田で飛行機に乗ると食事もせずに眠りに落ちる。オーランド着陸前に痛み止めを飲もうとすると痛みを感じない。飲むのをやめた。タヒチのパペーテで小さな飛行機に乗り換えてボラボラ島へ向かう。珊瑚礁に囲まれたエメラルドグリーンの海岸と海が見渡せた。空には雲ひとつない。濃く深い山の緑。白い珊瑚礁。青い海。想像していたタヒチそのものである。まさにゴーギャンの世界だ。

ホテルボラボラに着き、水上コテージに案内された。部屋の真下は海。海水は透きとおり、海底の白い砂が見える。浜辺に行き、カタマランに乗って沖に出る。真青な海と空、太陽のシャワーを浴び、風が私の背中を押す。

タヒチの風が小西さんを包み込んだ 写真提供/小西恵美子

快晴の日もあれば嵐の日もある

2日目は嵐。ひたすら荒れる海を眺めた。灰色に藍色を加えたような海にどんよりと重く低い雲がたれ込めている。大きな波がコテージの下を次から次へと通り過ぎ、デッキを波頭が走って行く。海にも怒りがあると思えた。荒れ狂い、憤り、行き場のないエネルギーをぶつけられてコテージは揺れ、軋む。屋根を大粒の雨が叩く。窓から外を見ると、波と大粒の雨がぶつかり合っている。部屋にはテレビもない。私たちはしゃべっていたが、しだいに間が空くようになった。怖くなった。

雨が少しおさまった。海上コテージから脱出しなくてはと思った。荷物をまとめ、コテージをつなぐ海上の廊下を走った。痛くない。雨が降って湿気があると関節の痛みが増し、倦怠感が強くなる。天候の悪化とともに気圧の変化があったはずだが元気だった。東京では薬が手放せないのに、ハワイと同様に痛くなかった。ハワイは乾燥し、晴れていて暖かい。しかしタヒチは嵐だった。非日常に身を委ね、何にも縛られない時間が私を解き放ったのだろうか。