「お金とは何か」日本史で考えると、その本質がこんなにクリアになる

最新理論「MMT」と仮想通貨
飯田 泰之 プロフィール

中国からの銭の輸入量が国内の貨幣量を決定していた中世において、その多くの時期において、経済規模に対する銭の量が不足していたと考えられる。そのため14世紀には、食糧生産が停滞していたにもかかわらず、継続的な米価の下落がみられる5。銭の不足が銭の価値を高めたのだ。

銭価値の上昇とは(銭単位ではかった)物価の下落、つまりはデフレである。米に代表される商品の価値が下がっても、負債の価値(借金の額)は変わらない。これが中小農民の没落を招いたことは想像に難くない。

 

外生貨幣説と内生貨幣説

もっとも、15世紀に入ると米価は上昇傾向に転じる。その要因は何だろう。ここでは2つの要因が考えられる。第一が1401年から開始される日明貿易による明銭の流入である。

そしてもう一つの可能性が、同時期における民間信用の拡大だ。室町時代の最適期ともよばれる足利義満・義持期には、割符とよばれる現代でいうところの手形取引の拡大が見られた。有力商人が発行した「この証書を持参した者に銭10貫(1万枚)を支払います」といった債務証書を直接の債権者ではない第三者が支払いに用いるようになったのだ。このとき、国内で取引に用いることができるマネーの総量は銭と発行された割符の総額となる。

割符の発行量、現代風にいうならば信用通貨の発行量はどのように決まったのだろう。銭の量が増加するとそれに伴って銭の預かり証である割符の発行量も増加するという理解を、今日の経済理論では、外生貨幣説と呼ぶ。

一方で、割符のような信用の発行量は実体経済の状況によって決まるとするのが内生貨幣説だ。経済が好調であると、銭そのものの量とは無関係に、資金の貸し借りが活発になり国内におけるマネーの総量が増加すると考えるのだ。

*5 深尾京司・中村尚史・中林正幸編(2017),『岩波講座 日本経済の歴史(1中世)』,岩波書店.