個展や本のカバー装画も多い人気イラストレーターの松尾たいこさん。デビューしてからは瞬く間に売れっ子になった松尾さんだが、実はそれまでには自信のないままに生きていた。

美大に行きたいと思いつつも誰にも打ち明けないままに地元広島の短大を卒業後、地元のメーカーに就職していた、松尾さんは、32歳になってから初めて自分の意思でイラストレーターへの第一歩を踏み出したのだ。幼少期の両親の離婚もあり、モノクロの人生に少しずつ色がついていくように生きてきたという。

松尾さんが描く色鮮やかな絵のように人生にどうやって色をつけていったのかを綴っていく連載第2回は、自分より10歳以上も年下のクラスメイトの中でどのようにイラストを学び、そしてデビューにたどり着いたのかをお伝えいただく。

第1回の記事はこちら

誰も友達はできないと思ったけれど

東京に出てきた時、私は32歳でした。

会社にいる時に、一度辞めたいなと思った時期があります。その時は25歳でした。でも、イラスト以外にやりたいこともみつからなかったし、新しいことをやるには遅すぎると思い、諦めました。その代わり、社内での居場所を見つけるために独学でプログラミングを習い、直談判してシステム開発部門へと移してもらってシステムエンジニアとして働いていたのです。

それから7年も経って、ようやく出てくることができました。

親戚の家に居候させてもらい、イラストの専門学校「セツ・モードセミナー」へ通う日が始まりました。

学校は、「午前部」「午後部」「夜間部」の三部制です。夜間部は働きながら通いやすいので人気があり、そのため倍率も高く何度もくじ引きに落ちる「セツ浪」という言葉もあったほど。
私は一番倍率の低い午後部を選び、入学できたというわけです。

入学式では、どうみても私が一番年上でした。
年齢不問といってもメインは20代、中には中学を卒業したばかりの人もいました。
同じ学校、同じ会社、そういうコミュニティでしか友達を作ったことがなかったので、きっと友達はできないだろうって思っていたのですが、予想に反して、すぐに何人もの友達ができました。

みんなイラストレーターを目指す人たちばかり、中にはもうイラストレーターになっている人までいます。広島にいた私は「動く」イラストレーターなんて見たこともなく、特別な一部の人たちがなるものだと思い込んでいたので驚きました。実はセツ・モードセミナーに入ったのも「好きな絵を一度、ちゃんと学んでみたい」という気持ちだけで、1年経ったら広島に戻り、また就職しようと思っていたのです。

「こんなにたくさんイラストレーター目指している人がいるのなら私もなれるかも」と、はじめて夢が叶うかもしれないという希望が生まれました。

東京に出てきてわずか一週間後のことでした。

こんな会話ができる友だちはいなかった

学校の休憩時間での友達たちとの会話もとても新鮮でした。
それまでは、友達との共通の話題というと美味しいものとか旅行とか、テレビドラマくらいしかなかったからです。

クラスメイトはみんなアートに詳しくて、「この展覧会は観たほうがいいよ」とか、本もたくさん読んでいました。「きっと世界観が好きだと思う」と教えてもらったのが、レイモンドカーヴァー。この後、すごく好きになった作家です。

中公新書より村上春樹氏の「村上春樹ライブラリー」にレイモンド・カーヴァ―作品が多く刊行されている

私は本当に何も知らなかったので、それからいろんな画家を調べたり、毎日のように美術館やギャラリー巡りをしたり、映画を観たりして、新しいことをいっぱい吸収しました。

私が幼い頃持っていた「素直さ」と「好奇心の旺盛さ」が出てきたのがこの頃からだと思います。相手が年下であっても関係なく、知らないことを「知らないから教えて」と聞けるし、勧められたことはやってみる、そうやって自分の中にたくさんのインプットができてきました。