マスコミの「迷惑行為」が日本社会でこんなに叩かれる理由

不寛容な寛容社会の構造
津田 正太郎 プロフィール

さらに、総理府および内閣府による夫婦別姓にかんする意識調査をみると、1996年には別姓の選択を認めるべきだとした回答者が33%、通称として結婚前の姓の利用を認めるべきだとした回答者が23%だったのに対し、2017年には前者43%、後者24%となっている5

この調査でとくに興味深いのは、仮に選択的夫婦別姓が認められたとして、回答者自身がそれを利用したいかという質問である。利用を希望するとした回答者は1996年には16%であったのに対し、2017年の調査でも20%である。増えてはいるものの、大きくは変化していない。それどころか2012年の24%からは減少している。

ここからみえてくるのは、自分自身で制度を利用したいかどうかに関わらず、他人がそれを利用する分には別に構わないという回答者像である。

結婚であれ、子どもを持つことであれ、かつては社会規範が強力に働いていた領域であり、現在においてもそれはかなり残っている。しかしそれでも、以前と比べるならば、結婚や子どもをもつこと、さらにはそれ以外の人生の選択についても、他人に干渉しないという態度は広がってきている。他人に干渉しないということは、その選択を尊重するということでもあり、寛容さの表れと呼んでもよいはずである。

このように徐々にではあれ、多様な生き方が肯定されるようになってきた日本社会。しかし、先述のマスメディア批判に見られるような、このどうにもギスギスした感じはいったい何なのだろうか。次に考えたいのは、そのギスギス感の正体である。

 

「迷惑をかけない私」の自己イメージを強化したい

冒頭で紹介したマスメディア批判と並んで、SNSの定番といえるのが「迷惑」にたいする批判である。電車や飛行機のなかで迷惑なふるまいをする乗客に乗務員が毅然とした態度をとったことに他の乗客が拍手喝采、といった書き込みを読んだことがある人も多いだろう。現代における不寛容を考えるうえでキーワードになるのが、まさにこの「迷惑」である。

先に見たように、他人に干渉しないことが守るべき社会規範となった社会では、とりわけ不愉快なかたちで他人に干渉すること、すなわち「迷惑」が重大なマナー違反になる。迷惑とはまさしく、尊重されるべき個々の生き方を妨害する行為にほかならないからである。

〔PHOTO〕iStock

ここで個人的な経験を語らせてもらうなら、子育てにおいてとにかく気を遣ったのが、他人に迷惑をかけないようにするということであった。