お家で夫婦で美味しい幸せ(阿川佐和子)

2年前に同じマンションの別の部屋に引っ越しました。新しい部屋に設置されていたコンロが珍しいことにドイツ製で、火力が非常に強かったんです。

炒め物をすると「ジャーッ!」と大きな音を立てて楽しいんですけれど、一方で、弱火の調整が難しい。長時間コトコトとスープなぞを煮込んでいると、ちょっと目を離しているうちにこがしてしまう。その点、最近の日本のコンロのほうが、熱を検知して自動で火を止めてくれるので安心ですね。

思い出したのが、父・阿川弘之のこと。我が家の料理は母と私の女の仕事だったのですけれど、父が自分で作ると決めている料理がいくつかあって、その一つがステーキ。ステーキと中華料理は強火じゃないと美味しくならない、が父の信条でした。そんなことで、家を新築した際に、火力の強い1口コンロを普通の3口コンロとは別に特注したんです。あまりの火力に女どもはおっかなびっくり。父も次第に諦めたのか……いつしか、開かずの蓋で封をされました。父が亡くなって4年。いまも実家の台所で放置されていることでしょう。

中学生の頃から、母と二人で父の酒の肴を用意することが日課でした。父は、ビールはキンキンに冷えたもの、熱燗は熱く、温かい料理は熱いうちにとうるさい人でしたので、何品も揃えてから食事を始めるのではなく、酒や食事の進み具合に合わせてできたてを食卓に出していました。なので、母と私は立ったり座ったり。食事中、ずっと座っていた記憶はありません。

トラウマがあります。中学生のある日、母が用事ででかけていたので、私一人で父の夕食の準備をすることになった。レシピ本を見ながら、精魂込めて東坡肉という豚の角煮を作ったんです。父は「おお、今日はサワコが作ったのか」なんて言いながら一口食べ、「うん、サワコ。明日はなにかうまいものを食べに行こう」―私は泣きましたね。二度と作ってやるものかと。

先日、主人が「ゴルフ場で美味しいものを食べた。あれが食べたい」と言い出しまして、何かと尋ねると、豚の角煮丼! 何となくはぐらかしていると、あちらが圧力鍋を買ってきて「簡単らしいよ」。実際作ってみると、なかなか上手にできてしまって、夫婦で美味しい美味しいと食べました。これでトラウマも解消かしら。

料理の記憶って、家族の記憶なんですね。どれだけ年をとり、飽きるほど同じ月日を過ごしても、出かけ際などに「ご飯どうする?」の一言で、家族であることを実感します。(談)

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