井上陽水と私を隔てる「壁」の功名(ロバート・キャンベル)

アメリカで生まれ育った私は10代の終わりに日本語と出会い、日本文学の研究者になる道へと進みました。もちろん、研究者とはいっても母語は英語ですから、何度も「言葉の壁」にぶつかってきました。でも、私は壁が悪いものだとは思っていません。

'11年の夏、私は感染症を患い、長期入院を余儀なくされました。入院中は仕事を禁じられていたので、自分のために何かしようと思って井上陽水さんの歌詞の英訳を始めました。陽水さんの曲は緻密に紡がれた言葉が生むゆるくて夢のような世界観がすごく好きで、20代の頃からよく聴いていたのです。

陽水さんに連絡を取った上で一日一曲ずつ、写経をするように50曲を英訳しました。ところが、いざ始めてみると陽水さんの日本語がさっぱりわからないんです。日本文学の博士として当時は東京大学で教鞭を執り、30年来のファンでもあるのに本当にわからない。

例えば、「カナリア」という曲。美しい声と羽を持つカナリアが盗賊の前で歌うシーンが出てくるのですが、それが現在なのか遠い過去なのか歌詞にはありません。日本語はあいまいでいいけれど、英語は時制がはっきりしているので現在と過去では訳が変わってきます。このようなことがいくつもあったので、退院後も推敲を重ねましたし、陽水さんにも直接会って教えを請いました。でも、陽水さんには「どっちだろうねえ」とうなぎのようにつるりとかわされることもあった。意味を確定させたくない部分があるのだと思います。ファンそれぞれが持つ歌のイメージを壊すことにもなりかねませんから。

だから私もなるべく透明な訳になるよう心掛けました。陽水さんは温かく見守ってくれたけれど、ごく稀に指摘もありました。その一つが「傘がない」のタイトルです。当初の訳は「I've Got No Umbrella」。傘に対する主語が必要でしたし、ストーリーがより具象的になるからです。でも、陽水さんは「傘は嫌なことから守ってくれるもの。人それぞれの傘があるので、誰のものか特定したくないんだ。だから『No Umbrella』にしてほしい」とおっしゃった。そこで私は「傘」が持つ深い意味に気付かされたのです。

英訳としてみると「No Umbrella」にはやっぱり一抹の違和感があります。つまり、言葉の壁は崩れない。でも、壁があるからこそ私は陽水さんの思いを知ることができました。壁は向こう側にいる人の気持ちに気付かせてくれるものなのです。だから、壁を崩そうと身構えて話す必要はありません。壁に少し穴を開けて風通しのよいコミュニケーションを取ることが大切だと私は思います。(談)