本誌と歩いた日本一回り(椎名誠)

「週刊現代」との付き合いはいろいろ多岐にわたるけれど、とりわけ長く続いた取材もので、日本の海べりをとにかく一周するぐらいの勢いで取材してまわった五年間にわたる連載の記憶がある。海をまわるというのはぼくの単純な発想だった。

日本は海に囲まれた島国と言われるが、多く出かけられるところは海沿いの観光地で、せっかくきれいな海岸線や、ごつごつした荒っぽい岩場を風景として持っている多くの土地が、観光地ではないという理由であまり多くの人が訪れることがない。海が好きなぼくはそこのところがつくづくもったいないと思っていたので、この際、そういう名もない、観光地的には無名といえるようなところを余すところなく回ってみよう、と提案したのである。

編集部はその要請に快く応えてくれて、取材レポーターやカメラマンなど合わせて三、四人のチームを提供してくれた。海は季節によって大きくその表情を変えるので、取材場所はそうしたことと、連続してどのくらいの土地を取材できるかということを合わせて考え、東京と全国各地の海岸を行き来する渡り鳥のようにして、細かく取材して行ったのである。

観光地ではなくなると、日本の海は漁業関係者ぐらいしか見当たらないことがほとんど、ということがよくわかった。そういうところへ我々が三、四人で訪ねるものだから、出会った漁師さんたちはいつも一瞬警戒的になったり驚いたりしているのがなんだか妙におかしかった。しかし我々の意図が通じると、うって変わって実に親切になり、お国自慢という意識も加わってくるのだろう、素朴ながらも力のこもった説明をしてくれるのが嬉しかった。

観光施設がないところなどでは、漁協の人がその土地でしか獲れない魚などを自宅で料理して、我々にふるまってくれたりした。北陸地方のゲンゲ科のナンダなどという魚は、そういう機会でないとなかなか口にできないあやしい魚であった。そういうことが各地でよく起きたが、我々の強みは講談社のサポートスタッフがどんなものでもいくらでも食うぞ、という大食漢ぞろいだったことで、そうした郷土料理をふるまう人はそれを見てさらに喜んでくれたことである。

北海道から沖縄まで、さらに日本のあちこちに散らばる島々まで本当にくまなく歩いたものだ。思えば、あの取材旅から15年が経った。当時見た風景は年を追うごとにぼくの中でじわじわと熟し、味わい深い思い出となって残っている。わが旅の人生のひとつのタカラモノになっているのだ。