未来のための僕の責務(大林宣彦)

「海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい」。小説家・林芙美子の自叙伝『放浪記』の有名な一節です。尾道で生まれ育った僕の少年時代の夢は小説家になることでした。自分なりに文章を書く中で、僕はずっとこの一節を不思議に思っていました。

普通に考えると、遠くに「見える」海がだんだん近づいてきて、その海が目の前にどーんと大きく広がった時に「見えた」と意識するのではないか。しかし、芙美子の表現では「見えた」が先でした。その理由に気付いたのは初めての上京の後、僕が尾道に、その汽車で里帰りをした時です。

当時の在来線は蒸気機関車。煙を吐きながら畑の中を進む汽車が、やがて大きくて急なカーブへと差し掛かり、速度を落としながらであってもふいにカーブを大きく曲がる。すると突然、目の前に海が現れるんです。「あっ、『海が見えた』とはこういうことか」と気付きました。

そして、尾道駅に向かう車窓から、古い民家の屋根越しに見える尾道水道を眺め、「我が故郷尾道に帰ってきたんだなあ」と感慨に浸る。林芙美子は尾道独特の里帰りの情感を見事に表現していたんです。このいわゆる人情の機微を大切にした手法は僕の映画づくりにも大きく影響しています。「何よりもしみじみと感じることが大切」という大林映画の原点はここにあるのです。

高度経済成長期に入ると鉄道にも高速化の時代がやってきました。CMディレクターをしていた僕は時代の先端をいく新幹線を粋に感じて、森繁久彌さん出演の「国鉄新幹線」のCMを多く製作。速くて効率的な輸送は当時の日本社会の発展には重要なものでした。

ただ、この速さが日常になると、人は立ち止まってみたくもなる。だから、尾道には新幹線の駅もあるけれど、僕は在来線で帰ります。周囲の風景は変わっても、カーブを曲がった先に現れる海の姿は60年前と同じだから。

今年の3月、老朽化に伴い尾道駅の駅舎が若者向きに新しくなりました。昔の赤い屋根の駅舎には愛着もありましたが、新駅舎は駅が開業した明治の頃の趣を踏襲しているそうです。都市部を中心に再開発が行われるなか、郷愁を誘う町並みが残る尾道には古きを大切にする文化が息づいていて、文化の価値に気付いた若者も惹き付けられるのでしょう。

今、広島の原爆をテーマにした映画を製作しています。尾道も舞台の一つ。余命宣告を受けて2年経ちますが、がんと共存しながらあと30年は映画を撮ると決めている。若い人の未来のために僕が体験した歴史や文化を伝えたい。戦争世代の僕の責務ですから。(談)

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