亀田誠治が全経験をつぎ込み「無料音楽祭」を開催する背景と本心

令和元年、音楽文化の新時代が始まる
柴 那典 プロフィール

日比谷音楽祭をなぜ無料にしたか

――日比谷音楽祭の理想はどんなものでしょうか?

いろいろと思い描いているものはあるんですが、「なぜ無料にしたか」というのが一番のポイントなんですね。

実は、最初にあったのは、普通に有料のイベントをやろうという話だったんです。無料のフリーイベントにしたいと言ったのは僕なんですね。

そこには、先ほどの話にあったように、セントラルパークで見た光景が頭にあったんです。人種や世代やジャンルや言葉の壁を超えて、全ての人に対して門戸を開きたい――。

高い値段でやるというやり方もあるんですけど、そうするとお金を払ってでも観るという人しかこない。そうじゃない人にも本当に素晴らしいパフォーマンスを見てもらいたいという気持ちがあって、それでフリーイベントにこだわりました。

タダとは言っても運営には当然経費がかかります。そこで今回は企業からの協賛と、教育コンテンツを盛り込むことで、行政から助成金をいただくことになりました。あとは音楽自体を応援してもらうために一般の方からのクラウドファンディングを実施しました。

協賛、助成金、寄付という三本柱で最高のアーティストを集めて運営されるフェスを日比谷公園でやりたい。そういう座組みを組み立てたんです。

――企業からの協賛はどのようにして集まったんでしょう?

いろいろ山あり谷ありだったんですが、こういう僕の理念を僕の言葉で伝えていかないといけないということで、企画書やセールスシートを作って、僕自身が企業を回りました。

去年から今年の間は年間100日くらいスーツを着て、合計で150から200社ぐらい伺ったと思います。

朝起きて、企業でプレゼンテーションをして、その後に車の中で着替えてスタジオに行くという毎日でした。

 

――反応はどうでした?

最初はなかなか開かなかった扉が、徐々に開くようになっていきました。たとえばIT企業などには、僕と同じような考えを持っている方が多かったんです。

あと、本当に幸運なのは、僕が作っていた音楽に感動して育った世代が今30代、40代になっていて、そういう方々が手を上げてくださった。

あとは、いろんなつながりも大きいですね。たとえばZOZOの前澤友作さんは、彼がアーティストだった時代に僕がプロデュースしてますから。

――前澤さんはSwitch Styleというバンドのメンバーとして98年にメジャーデビューしていましたね。

そういう仲間も含めて、いろんな人が声を掛けてくれるようになったんです。

それから、ドリカムのマサ(中村正人)さんのところに言って話をしたときも、マサさんはニューヨークに長く居たのでセントラルパークのサマーステージのことをすごくよく知っていて、力になりたいと言ってくれた。そこからアーティストとして協賛してくれることになったんです。

日本レコード協会、日本音楽制作者連盟、日本音楽事業者協会という音楽業界の3団体は実行委員会にも入ってくれています。それぞれの立場で日本の音楽文化を考えてらっしゃる方々が、応援してくれることになった。そうして今年ようやく目標額の予算まで集まり、開催されることになったんです。