音楽プロデューサー・亀田誠治さん〔PHOTO〕林直幸

亀田誠治が全経験をつぎ込み「無料音楽祭」を開催する背景と本心

令和元年、音楽文化の新時代が始まる

平成のはじめに生まれた「J-POP」という言葉と共に移り変わってきた日本の音楽シーンは、新たな時代を迎えた今、どこに向かおうとしているのだろうか? 

そんなテーマで行った音楽プロデューサーの亀田誠治さんへのインタビュー取材。「分断」と「教育」という問題意識をキーワードに語ってもらった前編に続き、後編では新たなテクノロジーによってもたらされた変化や、海外との関係性などについて話を聞いた。

今年6月1日・2日、「フリーで誰もが参加できる、ボーダーレスな音楽祭」を掲げて日比谷公園で開催される新たな音楽フェスティバル「日比谷音楽祭」の実行委員会委員長を務める亀田さん。資金集めも含めたイベント運営の裏側、そしてその先に見据える未来についても語ってもらった。

(取材・文:柴那典、写真:林直幸)

亀田誠治(かめだせいじ)
1964年生まれ。音楽プロデューサー・ベーシスト。これまでに椎名林檎、平井堅、スピッツ、GLAY、いきものがかり、JUJU、エレファントカシマシ、大原櫻子、GLIM SPANKY、山本彩、石川さゆり、東京スカパラダイスオーケストラ、MISIAなど数多くのプロデュース、アレンジを手がける。2004年に椎名林檎らと東京事変を結成し、2012年閏日に解散。2007年第49回、2015年第57回の日本レコード大賞では編曲賞を受賞。近年はJ-POPの魅力を解説する音楽教養番組『亀田音楽専門学校(Eテレ)』シリーズが大きな反響を呼んだ。

平成で「一番よくなかった時代」とは

――平成のJ-POPの30年を振り返ると、90年代のCDバブル、00年代以降のCDの売り上げが下がっていった時代にわけられると思います。

そういう中で産業と文化のせめぎ合いが続いてきたとも捉えられるわけですが、そのあたりについては、亀田さんはどう考えてらっしゃいますか?

僕はやっぱり、インターネットが起こしたイノベーションに対して行った施策のなかで、吉と出たものと凶と出たものとのわかれ道がいっぱいあったと思います。

――吉と凶、というと?

平成を振り返って一番よくなかった時代は、不正コピーへの対応に終始していた時期だったと思うんです。

CCCDとかいろんなことをやったけれど、結局それは防衛策でしかなかった。そこで失われた数年間を作っちゃった。そこが一番もったいなかったと思います。

――まったく同意です。CCCDは2002年に発売されましたが、当時すでにミュージシャン側からも音質など様々な問題が指摘されていて、2004年からは段階的に撤廃されました。結果的にはリスナー側の音楽業界に対する不信感を募らせることにしかならなかった。

あの数年間、不正コピーへの対応にいろんな知恵を絞っていた時期は、クリエイティブじゃなかったなと思います。

クリス・アンダーソンが当時から「フリーミアム」ということを言っていたように、時代の流れはフリーなほうに向かって行っていた。

そこに対してやるべきことは、著作物に対してこういう労力や努力が払われている、そこを尊重しなければいけないということを伝える教育だったと思うんです。

なのに、新しい技術やプラットフォームが登場してできるようになったことに対する防御策ばかりが考えられていた。

 

――文化ではなく産業を守ろうという姿勢が一番象徴的に現れたのがCCCDの施策でした。一方で、音楽業界の手が届いていないところから新しい音楽文化が出てきたというのも00年代に起こったことで、その象徴がボーカロイドだったと思います。

たしかにそうですね。

――こうやって産業と文化の関係性から平成のJ-POPのシーンを振り返ると、亀田さんのスタンスというのは、音楽業界のど真ん中で仕事をされつつも、産業よりは文化を守る側についているのではないかと思います。

僕はそちら側ですね。文化を守る、文化を次の世代に繋げて育てていくという。今も自分の立っている場所は同じですね。ただ、僕はストリーミング推奨派なので、今のほうが見晴らしはよくなった気はします。