初めてなのに天才的!なんて夢物語
ともかく、いろいろな体験教室に行った結果わかったことは、ドラマや漫画みたいに初めて触れたピアノなのになぜか超絶弾けてしまうとか、初めて触れた碁石なのになぜか先生に勝ってしまうとか、初めての英会話なのに(以下略)……なんてことはありえないという事実だった。
そりゃそうである。そもそもそういう天才像は間違っているのだ。
ぼくは職業柄、世間で天才と言われている人に会うことが多いが、彼らのほとんどは努力型だ。「最初から全部いきなりできました!」という神童はむしろドロップアウトしてしまう人間のほうに多い。
というわけで、奇跡は起きなかったので、ウチは3歳から公文式に行ってもらった。科目は算数。理由は一番汎用性が高くていつでもどこでも使えそうな能力だからである。他の学習塾でも良かったのだが、3歳から対応しているところがなかった。
ガチャを回すことに疲れたのでスタンダード課金だ。
行ってわかったのだが、確かに習い事は3歳くらいからやったほうがいい。
なぜならそのくらいの年齢だと、親が「それが常識だよ」という顔をしていればあまり疑問を持たずにやってくれるのだ。
案外うちの子供は真面目なので、毎日の宿題も家で寝る前にやっていた。
しかし、3ヵ月後には公文もやめていた。
理由は忘れた……。
なんとなく面倒になったからだと思う(ぼくが)。
そうなのだ。「習い事」とはつまり親の問題でもあるのだ。親がちゃんと月謝を払い、情熱を持って子供を送り迎えし、家でも宿題をやらせる。そうじゃないと続かない。当たり前である。NO情熱、NO習い事。
人生の役に、立ったことあったっけ?
その後、心機一転、4歳くらいから「東大生が最もやっている習い事」と聞き、あらためて「水泳」を始め、5歳のときにクロールができたところで本人希望でこれまたやめた。
結局、7歳の今、習い事は「サッカー」と「塾」のふたつである。
個人的にはサッカーのことはよくわからないので、できれば音楽とか芸術方向の習い事をやってほしかったのだが、本人があまり興味を持っていないので無理強いしなかった。
なんとなくヌルいところに軟着陸した感があるが、果たしてこれで良いのか……。
「習い事」に関して、ぼくは最初から最後までずっとやもやしたものを抱えている。
というのも、考えてみればそもそも「習い事が人生に役立って良かった!」という人にほとんど会ったことがないのである。
かく言うぼく自身もそうだ。
ぼくは小学校の頃、空手をやらされていた。たしか小学校低学年から3年くらいやっていた気がする。
気がする……というのはほとんどそれについての記憶がないからだ。
一緒に行っていたMくんとは別にそれほど仲がよいわけではなかったし、むしろいじめられていた。練習は型ばっかりで無意味に厳しく、昇段試験などもほとんど受けず白帯で終わった。今、そのときの記憶や身についたものは皆無である。
中学からは塾に行っていたが、それについてもたいして記憶がない。とにかく嫌で、授業中に騒いで怒られたとか、サボってゲーセンに行ってたとか、そういった思い出しかない。そのときに覚えたことは、これまたほぼゼロだ。
だいたい、子供の頃に水泳やピアノやサッカーをやって、その道のプロになる人間なんて1000人に1人くらいの割合ではなかろうか。そんな習い事エリートたちは一体何を考えているのだろう。聞いてみたいものである。