土田氏にとって平尾氏は、友であり、同志であるだけでなく、いまも目標であり続けている。
青春時代の楽しかった日々を振り返るのは、同じく、同志社大ラグビー部の同期、大本博立氏。〈誠二はほんとうの親友だった〉と大本氏は書いている。
〈誠二はラーメンが好きで、ふたりでいろいろな店に行きました。誠二に案内され、ラグビー部の仲間4~5人とお好み焼き屋に行ったときのこともよく憶えています。
「びっくりしたらあかんで。ほんま、汚い店やから」
事前に誠二が言っていたのですが、店に入ったら、その当人が唖然としていました。
「おばちゃんのエプロン、おれがちっちゃいときから変わってへん」
店にはふだんは見かけない、どこのメーカーだかわからないジュースがズラーッと並んでいて、お好み食べてジュース飲んで、みんなで1000円でおつりがきました。
誠二には格好いいラガーマンというイメージがありますが、実はそういう雰囲気が好きなのです。学生時代の誠二とのことは、いくらでも思い出されて尽きません〉
平尾氏が亡くなったとき、大本氏は抜け殻のようになったが、その後、平尾夫人の惠子さんから驚くことを知らされた。
〈彼の家に線香をあげに行ったとき、惠ちゃんから、こういう話を打ち明けられました。
ぼくは'88年の6月11日に結婚式をあげたのですが、なんと誠二もその日に結婚式をあげる予定だったというのです。
当時のぼくはそのことを知らなかったから、「式に出席してくれよ」と誠二に頼みました。彼は内心、びっくりしたと思います。でも、表情ひとつ変えることなく了解してくれた。そして、家に帰ってから惠ちゃんに言ったそうです。
「その日、大本も結婚式や。変えよう」
そうして、ほんとうに自分の式を前日の土曜日に変更してくれた。おかげでぼくは彼の式に出られたし、平尾夫妻もぼくの式に来てくれました。
式の日を変更したことを、誠二はぼくに明かしませんでした。だから惠ちゃんから聞いたとき、思わず号泣してしまった。
「なんていい奴なんだ……」
そういう男なのです。ほんとうに友だちを、男同士の友情を、大切にしてくれるのです〉
大本氏はいま、〈誠二に出会えたことへの感謝の気持ちを大切にしていきたい〉と思いを新たにしている。
大本氏や先の土田氏よりも古い親友が、高﨑利明氏だ。京都市立伏見工業高校のラグビー部で、平尾氏の同期だった。