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「生きながらえる」ための技法

衝撃を受けた「三つの授業」

からだは完全な固体ではない

『生きながらえる術』という新著のために原稿を整理している、ちょうどその頃のことである。芸術系大学のピアノ科の教授が、東京藝術大学の学生だったときに受けた授業の思い出として、こんな話をしてくれた。

 

大学に入ってとにかく強い衝撃を受けた授業が三つあった。野口三千三の体育と小泉文夫の民族音楽論と三木成夫の美術解剖学。今おもえば、この三つの授業を受けられたことは藝大生活でもとりわけて大きいというのである。この話にはひどくそそられた。

野口の体育は、人間のからだが袋に入った液体のようなものだという話から始まった。そしていきなり床に寝かされ、別の学生に足首をもって揺さぶってもらうよう指示されたというのだ。

該当する記述をあとで野口の著作にあたってみたら、たしかにこうある。
「生きている人間のからだ、それは皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ」『原初生命体としての人間』岩波現代文庫)。
物体の運動は中が固体か液体かで挙動が大きく異なる。それはゆで卵と生卵をテーブルの上でくるくる回転させるだけでもすぐにわかる。ゆで卵はソリッドな物体とおなじで、よく回る。からだは完全な固体ではない。筋肉の緊張を解けば液体に近くなる。そしてそれがむしろからだの動きの「基礎感覚」なのである。
だからからだをうまく使うためにも、からだの声をよく聴くためにも、日頃から「皮膚につつまれた液体を実感する」ことが大事だというのである。からだのイメージを大きく揺さぶる経験だっただろう。

ハーモニーが合えば「首狩り」

次に小泉の民族音楽論の講義。なんと《首狩り族》の話から始まった。台湾からボルネオにかけての諸島に住む複数の民族は別の集団を《首狩り》する奇妙な風習をもっていた。
首を狩るのだから複数の集団は当然、敵対関係にある。そしてその集団が首狩りを決行するかどうかは、じつは占いによって決まるという。その占いが合唱なのだ。ハーモニーが合っていれば決行し、合わなかったら延期するという。小泉自身の記述を引けば、その占いとはこんなふうである。

「長老が一番初めうたい出して、それに長老に次ぐような人たちがだんだん合わしていく。みんなで重ねる。そうすると、一番初めにやった長老が合わないと思えば、ちょっと音を上げたり下げたりする。それに適当に合わしてやっていかないとだめなのです」『音楽の根源にあるもの』平凡社ライブラリー)。

ピアノ科教授は、唄がこのような集団生活の帰趨を決する場面で歌われたということに衝撃を受けたという。