平尾誠二さんの娘・早紀さんが初めて明かす「父と最後に話したこと」

享年53。素敵なパパのもう一つの闘い
週刊現代 プロフィール

以後の闘病の日々は、平尾氏と彼の家族だからこそのものと言える。本書『友情2』の編者である山中伸弥氏(京都大学iPS細胞研究所所長)も「ものすごい精神力、対応力だった」と書いている。

危機を脱した父は5月に退院して自宅に戻り、ステロイド治療に加えて、中心静脈栄養も行うようになりました。静脈注射で栄養を身体に入れる方法です。自宅でする場合は、家族が注射することは許されています。そのため、わたしが病院でやり方を習いました。

ハスミワクチンや丸山ワクチンの注射や点滴も、わたしがしていました。注射をするのは怖かったのですが、どれかが効いて父を救えるかもしれないと思うと、躊躇している場合ではありません。

2日に一回の注射と3日に一回の注射があるので、この日はこのワクチン、この日は中心静脈栄養と、ひと目でわかるよう表をつくりました。

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病院でやり方を習ったとはいえ、素人のすることなので痛かったと思いますが、父はがんばり、わたしが帰るときには必ず、「今日もありがとう」と言ってくれた。

そのころ、わたしは父の通院のつき添いを最優先したうえで、一日数時間でもできる仕事を見つけて働きはじめました。父と会えなくなるかもしれないからできるだけ一緒に過ごそうと、まるで亡くなることを前提にしたような日々を送るのがつらかったからです。

常に死を意識した「非日常」を過ごすのではなく、仕事をしながら通院につき添う「普通の日常」を過ごしたい。そうすれば自分の気持ちも平らかになり、父も安心して治療を続けていけるだろうと思っていたのです。

癌が判明した'15年9月のときは、医師から「年は越せない」と告げられたが、平尾氏は家族とともに闘い、年が明け、春を迎え、夏も越せた。しかし……。

'16年10月20日、朝食の支度をしているときです。夫が「お義母さんから電話!」と、わたしの携帯電話をもってきました。電話からは、母の言葉にならない嗚咽だけが聞こえてきた……。

赤ちゃんを授かったと報告したのは2日前です。赤ちゃんのエコー写真を見せると、父は「よかったね」と言ってくれて、「男の子と女の子、どっちだと思う?」と訊くと、

「そんなん、知るか」

このときはもうかなり厳しい状態だったのに、あくまでもいつもと同じ父でした。

翌日の夜、わたしが病室を出るときにかけた言葉が、父との最後の会話になってしまいました。

「じゃあ、また明日ね。バイバイ。何か食べられるものがあれば買ってくるから言ってね」

この世にこんな深い哀しみがあることをはじめて知り、思考がすべて止まり、涙が溢れました。

病院に向かう道では、こう自分に言い聞かせたのでした。

「もう苦しい思いをすることはないんだ。パパは痛みから解放されて、自由になったんだ」

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