平尾誠二さんの娘・早紀さんが初めて明かす「父と最後に話したこと」

享年53。素敵なパパのもう一つの闘い
週刊現代 プロフィール

どうか無事に帰ってきて

恋愛に関しては、こんなアドバイスをしてくれた。

「相手が何をもっているかは重要じゃない。その人のもっているものが何もなくなったときに、好きでいられるかどうかが大切や。そういう相手と結婚すべきや」

相手の地位や肩書や財産は問題ではない―。この言葉はいかにも父らしく、そんな父の娘に生まれたことがとても誇らしく思えました。

'15年の6月、わたしはハワイで親族と友人たちに祝福されて結婚式をあげ、式の最後に両親にあてた手紙を読みました。

子どものころの思い出、両親への感謝の気持ち、仲のいい父と母が大好きで、自分たちもそんな夫婦になりたいと思っていることを伝えたのです。

式が終わると、父は「すごくええ結婚式やったね」と祝福してくれました。このときは、まさかわずか3ヵ月後に余命宣告を受けるとは、夢にも思いませんでした。

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'15年9月12日未明、平尾氏は吐血。検査の結果、肝内胆管癌の可能性が高く、癌はかなり進行して転移していることがわかった。早紀さんはこのとき、それを受け入れることができず、涙が溢れ、視界がゆがみ、立っているのがやっとだった。

けれど父は、病気のことを誰よりもしっかりと受け止めていた。

「癌になってしまったんなら、しゃあない。治療をがんばるわ」

静かに笑いながら、いつもと同じ口調で言いました。

病院の先生が検査データを見て「まだ手立てがあります」とおっしゃったことに一縷の望みを託しながらも、重い心で家に帰り、夫にすべてを話しました。

「ぼくのことは放っておいていい。お義母さんは心細いだろうし、お義父さんもきみがいれば助けになると思うから、一緒にいてあげて」

そんな夫の言葉に甘え、父と母のサポートを第一にすると決めたのでした。

癌と診断されてからも、父はしばらくテレビのラグビー番組の解説やラグビー協会の会議、頼まれていた講演の仕事をし、母とわたしが送り迎えをしました。

遠くまで行くときはふたりとも心配でたまらず、「どうか無事に帰ってきますように」と祈るような気持ちでいたのです。

まだ死んだらあかん!

平尾氏は11月から免疫療法の治験を始めたものの、劇的な効果が得られず、'16年初めに打ち切りになった。

その後、2種類の抗癌剤を併用。しかし4月末、吐血をして緊急入院してしまう。医師から「2~3日しかもたない」と告げられる状態で、平尾氏の母親が病院に駆けつけた。

祖母は「泣いたらあかん」とわたしたちに言い、父に向かって力強い声で呼びかけました。

「あんた、どこへ行くんや? あの世か? あかん! あの世に逝くときは、わたしに知らせてから逝きなさい。そうしたら、わたしが先に逝って、三途の川で引き戻す。まだ死んだらあかん!」

この言葉をきっかけに、父は意識を取り戻しました。翌日から状態はよくなっていき、退院できるまでに回復したのは、まるで奇跡のようでした。

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