新天皇と雅子皇后、初の地方訪問が示す「皇室大変革の予感」

二重権力、三重権力が現れる可能性
原 武史 プロフィール

「軽やかな天皇」の前例

象徴的なのが、徳仁天皇の「登山好き」です。テレビでも盛んに映像が流されていましたが、雅子妃や愛子内親王と連れ立って那須御用邸周辺の山に登り、すれ違う一般の登山客と気さくに挨拶を交わす。上皇になってからも、厳重な警備の上での「お忍び」が報じられている明仁上皇とは、かなりの違いがあります。

天皇ともなれば、そんな気軽な言動は難しいのでは――と思われるかもしれません。しかし、明治以降の天皇の歴史を眺めてみれば、軽やかな「人間らしさ」を持った天皇もいたのです。大正天皇です。

 

政治状況もあって在位時から「神格化」が推し進められた明治天皇に対して、大正天皇は皇太子の時から、自由な言動を繰り返しました。

旅行好きでもあった大正天皇は、皇太子時代に沖縄県を除く全道府県と大韓帝国を回り、それに伴って福島県の霊山や京都府の成相山、香川県の屋島や象頭山など、各地の山にも登っています。また兵庫県では軍事演習の合間に突然旧友の家を訪問するなど、スケジュールも気にしなかった。天皇になってからも、皇后と一緒に葉山や日光の御用邸に1ヵ月も2ヵ月も滞在し、ヨットや馬に乗る生活を続けました。

しかしこの「大正流」は、天皇の権威を求める人々には都合が悪かった。明治天皇と同様の天皇の役割を押し付けられた大正天皇は、次第に体調を崩してゆき、最終的には引退させられました。その後「大正流」が引き継がれることはなく、昭和になると逆に天皇の神格化が図られた経緯は、ご存知のとおりです。

大正天皇(Photo by gettyimages)

もし「大正流」が引き継がれていたら、天皇像は大きく変わっていたでしょうし、もしかすると昭和の歴史も大きく違っていたかもしれません。

しかし、昭和の反省から「平成流」を徹底した明仁天皇が、「大正流」に倣ったかといえば、そうではなかった。あくまでも自らの考えに基づいて「象徴」を定義したものの、それは大正流の「人間らしさ」とは異なるものでした。でなければ、2016年の「おことば」を受けて「これは天皇の人間宣言だ」などという世論の反応は生まれなかったはずですから。