強調される「皇室の伝統」実は最近のものだった

国民統治の「装置」としての学校
小野 雅章

昭和天皇の「即位礼」と国旗掲揚の推進

さて、2019年4月2日の閣議決定による政府の「御即位当日における祝意奉表について」では各府省、地方公共団体、学校などに国旗掲揚が求められた。

 

この、学校における国旗「掲揚」は、昭和天皇の「即位礼」と深い関係がある。

日章旗(日の丸)が「御国旗」と定められたのは、明治3年正月27日(1870年2月27日)のことであった。しかしこの「御国旗」は、海軍が定めた軍艦旗と類似していたために混乱を来し、政府は1877年12月18日に太政官達により、各政府機関での国旗掲揚は必要ないとした。

これ以降、政府機関における国旗掲揚の慣行は消滅した。そのため、政府が国旗の制式や掲揚方法の規程などの作成について、積極的な動きを起こすこともなかった。

政府が学校関係に出した国旗掲揚に関する最初の通達は、1915年8月17日付の大正天皇の「即位礼」の当日に小学校で掲揚する奉祝旗に関するものだが、これも掲揚する場合には国旗のみとするという指示に過ぎず、直接的に国旗掲揚を命じる内容ではなかった。

政府が政策として祝祭日の国旗掲揚を促進させたのは、1923年11月10日の「国民精神作興ニ関スル詔書」発布以降のことだった。同詔書は、関東大震災後の民心動揺の鎮定と勃興する社会主義運動への対策をその内容とするものであった。

この発布を機に文部省が、趣旨徹底の具体策を報告するよう各地方に求めると、祝祭日における国旗掲揚の提案が多く寄せられた。国旗掲揚は、むしろ各家庭というレベルから普及した。国が「上から」強制したものではなく、地方レベルから始まっていったのである。

こうした要求を背景に、政府も重い腰をあげた。1924年9月3日開催の次官会議で政府が祝祭日における国旗掲揚を推進させることを決定し、「国旗掲揚ノ件ニ付通牒」を発して祝祭日や皇室関係の祝典には官公庁で国旗掲揚を行うように命じた。

しかし、この時点でもまだ、政府自身は国旗に関する規程を制定する意図など持ってはいなかった。

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