川村元気「『きつい仕事』と向き合うことで生まれるものがある」

『百花』発売インタビュー【後編】
伊藤 達也 プロフィール

――映画と小説、どちらも手がけていることで、川村さん自身のバランスがとれている面があるのでしょうか。

川村:バランスのためというより、小説は「もったいない」と思って書いている部分が大きいかもしれません。というのも、僕ほど有象無象にまみれている書き手もいない気がしていて。小説家や漫画家、俳優やミュージシャン、映画監督たち、本当にありとあらゆる作り手たちと普段からふれあっていて、ありとあらゆる人たちの記憶に、しかもかなり風変わりなものにふれている。

それは自分の圧倒的なアドバンテージでもあると思うんです。小説家がキャリアを進めていくと、社会性をキープするのが難しい。その点、僕はこんなにも社会にまみれている。だから、しんどいけれど、もったいないと思って書いてしまう。

――川村さんは小説を書くときにものすごく取材をされるそうですが、構想、執筆を含めると相当時間のかかる作業だと思います。それでも書くことを止められない?

川村:自分の中で、小説を書かなければ、次に進めなくなってしまうんでしょうね。死とか愛とか記憶とか、人生の課題が立ちはだかったときに、それについて知りたいと思う。その「知りたい」ということが、書くという行為と、僕の中ではイコールなんです。それを考え抜いて、書き終わった時にようやく、次に進めるような感じです。だから疲れるし、大変ですよ(苦笑)。

大衆というものなんて、わかるはずがない

〔PHOTO〕iStock

――『百花』の主人公・泉は川村さんご自身を投影した存在でもあると思うのですが、泉が、思い入れのあるバンドのPVを予算度外視で作る後輩社員の永井に対して、「歪なものからしかヒットは生まれない」といって背中を押すシーンがあります。小説の中とはいえ、川村さんがこういう台詞を入れるのは、面白いなと思いました。

川村:うーん。僕自身が、永井みたいな奴なんです(苦笑)。僕は自分のことを「早すぎたゆとり世代」だと思っていて。どこか冷めていて、ガッツがない……どちらかというと、永井に近い。

 

――そうなんですね(笑)。ところで、一般にはマスに向けたものがヒットするというイメージがあります。『君の名は。』も、新海誠さんの内省的な作家性がマスに向いたことでヒットしたと言う人もいる。マスを見る先にヒットがあると思いますか?

川村:そんな簡単なはずがないと思います。大衆というものなんて、わかるはずがない。いくらビッグデータを睨んでも、わからないです。だからどこまで行っても、自分が切実に感じていることを、100万人、1000万人、1億人、10億人も同じように感じているんじゃないか」という仮説から始めるしかない。

新海さんだって、今までやってきたことを変えたかと言うと、ほとんど変えていないように感じます。『君の名は。』は、めちゃくちゃ「新海誠」だと思います。もともと新海誠と同じような感覚が、ティーンエイジャーをはじめ多くの人にあって、新海さんの表現手法と時代の感覚がマッチして、ヒットしたということだと思います。

僕の小説も、自分と同じような周波を感じている人がたくさんいて、そこに届いた時に、広がったに過ぎない。『仕事。』という本で詩人の谷川俊太郎さんと対談した時に「集合的無意識」の話題になったんですが、多くの人が無意識に共通で感じていること、僕はそこにたどり着きたいんです。みんなが感じているけれど、言葉になっていないものを表現することが、自分の仕事だと思っています。

万人から高く評価されている人、たとえば宮崎駿監督だって、別にマスに向けているんじゃなくて、極めてプライベートな感覚を映画にしているし、坂本龍一さんだって、自分の気持ちのいい音楽を作っていたら、評価されたんだと思います。

世間から支持されている人はすごく計算していると思われがちですが、僕の印象は逆です。みんな一生懸命自分を掘っていたったら、マスにつながっていた。ただ、つながった先にその観客を説得するにはテクニックが必要で、画力、作曲力、ストーリーテリングの力量やセンスが伴う必要はある。それがプロダクトできたのが、スティーブ・ジョブズなのかなと。