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『銀河鉄道の父』の著者が語る「信頼に足る古典小説」の魅力

門井慶喜「わが人生最高の10冊」

なめるように読んだ

小説の勉強、ということをはっきり意識して読んだ10冊を挙げます。とても楽しい勉強でした。

高校の頃に一度読み、20代で読み直し、非常に面白かったのが1位の『オデュッセイア』。最重量級の作品です。

1ヵ月半ほどかけ、なめるように読みました。夢中になって一気読みすることと、時間をかけてじっくり読むことは同じく価値がある。両方があり読書なのだと僕は思います。

まず、松平千秋による訳文が素晴らしい。流麗、荘厳で気取っているといえなくもないけれど、この大古典だからこそ、この文体が最高に映えます。

 

主人公のオデュッセウスはトロイア戦争で家を離れ、その後10年にわたる放浪の旅をすることになります。夫が不在の家では、妻のぺネロペイアに言い寄る求婚者たちが、家の財産を勝手に食いつぶそうとするなど、やりたい放題。ですが奥さんは貞操を守り、家を守り、オデュッセウスも浮気せず、我慢に我慢を重ねます。そして最後、オデュッセウスは20年ぶりに故郷に戻り、悪者である求婚者たちを弓でバッタバッタとなぎ倒します。

成敗して終わり、というこの構成、実は時代劇と一緒なんです。「オデュッセイア=暴れん坊将軍」説を唱えてみてもいいかもしれません(笑)。つまり、洋の東西や時代の新旧を問わず、物語の様式美は同じ。この成敗の形は一つではないにせよ、人間が快感を覚えるストーリーの構造は決まっている、ということ。

小説における、そんな様式に対する「信頼」というものを、僕に強烈に与えてくれたのが、この『オデュッセイア』でした。

普遍的な物語の様式美ですが、近代的な小説を書く今の立場からすると、これは諸刃の剣なんです。様式を信頼すればするほど、ざっくりといえばストーリーを軽視しがちになるから難しい。

文学になった完璧な美術評論

同じギリシャ神話でも『オイディプス王』は、貞操観念はほぼゼロ。父を殺し、母と関係して、娘まで作ってしまう。荒唐無稽なシチュエーションのオンパレードですが、その一連の流れはとても自然です。

ここでもう一つ学んだのが、物語は、話の順番が非常に大事であるということ。それがストーリーテリングなのだと僕は考えています。『オイディプス王』はその代表的な証拠品です。

シェイクスピアの『リチャード三世』は、ジョセフィン・テイの『時の娘』とセットで語りたい本。シェイクスピアは、リチャード三世を徹底的に悪として描きますが、『時の娘』ではそんな史実はないと、まったく逆の内容。別の角度から、リチャード三世を読むことに意味がありました。

若い頃って、何かと白黒はっきりつけたがり、英雄崇拝的になる傾向がありますよね。たとえば、信長が正しく、光秀が悪、というような構図。でもそれは、誰かが意図的に正反対の情報を流し、後世に信じさせようとしている可能性があります。そんな誤りから若い時期に僕を救い出してくれたのが、リチャード三世を描いた2作品でした。

現代の小説で非常に印象的だったのが、ジュリアン・バーンズの『10 1/2章で書かれた世界の歴史』。

ノアの方舟に食いついたキクイムシの視点で書かれた話から始まり、宇宙船乗組員が方舟を探す計画を描く話になる、船をテーマにした長編、または連作短編小説集ともいえます。この中で、ジェリコーの絵画の『メデューサ号の筏』について、詳細に説明する箇所が忘れられません。これが本当に素晴らしい。

一つの絵について客観的に述べているだけですが十分にバーンズの主観も入っている。主観の内容も、人間を見る眼差し、歴史を見る眼差しを含め、極めてレベルが高く、完璧な美術評論になっている。あれ以上のものは、僕は読んだことがない。

ただ単に絵の内容を上手に説明した評論はいくらでもあります。だが文学にまでなった文章はない。小説は普通、どうしても場面や人物像の描写が評価されがちで、それは正しい一面ではありますが、絵に対する客観的な事実だけで、ここまで読ませるのがすごい。

「最近読んだ1冊」でも触れましたが、近頃は今回の10冊を読んだ時のような、文学的な原理原則を探求した読書というより、歴史の中で実際に何が起こり、どう変わってきたか、そんな形而下の視点で読むことに興味が移ってきています。

本は人生を懸けるに値する存在ではありますが、本自体はインクが付いた紙に過ぎず、崇拝の対象ではない。だから平気でメモや感想を書き込みます。

本は読み、自分の頭の中で考えて初めて意味があるものですから。(取材・文/佐藤太志)

▼最近読んだ一冊

「再読です。若い頃は文学的な視点で読みましたが、今は違う。パン焼き職人の店に来る若い女の子が結局プレイボーイに落とされる表題作などに当時のロシアの文化や風俗が見て取れ、歴史資料的に楽しんで読みました」