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ぼくはいつでもエンターテイナーでありたい

小説に込められた魔法たち
『魔法を召し上がれ』は私にとって前作からようやく2年7ヵ月ぶりに出版できた小説である。私はこの小説でふたつのことを試みた。         

思い描いていた物語

本作の主人公は青年マジシャンだ。彼はレストランのテーブルを回って、客にささやかなマジックを披露して生活している。このようなテーブルホッピングマジックは海外でときおり見られるが、日本ではあまり馴染みがないようだ。

 

ヒカルというこの青年は各テーブル5分間の演技のなかに、既存の手順と自分で考案した手順を組み合わせる。あるいは彼はときおり特別な客を相手に、自分のオリジナルな手順でもてなそうとする。

昔からテレビのマジック番組を観るのは好きだった。子どものころはマジックキットをおもちゃ売り場から買ってきて、よく練習して遊んだりした。私は小説や映画も好きだったから、マジックの登場する物語があったならどんなに面白いだろうと思っていたものだ。

マジックを題材にした作品たち

実際にそのような小説や映画は存在する。だがふしぎなことに、いつもなぜかあまり面白くないのだ。テレビで引田天功やデイヴィッド・カッパーフィールドが惹きつけるような圧倒的なわくわく感が、なぜかマジック物語からは感じられないのである。

引田天功(photoby Getty Images)

たとえば中学生時代に観た映画にフランシス・コッポラ製作総指揮の『マジック・ボーイ』がある。最近なら海外ドラマの『トリック 難事件はオレにお任せ』がある。どちらも劇中で登場人物が実際にマジックを披露する。少なくとも編集によるごまかしはないのだが、驚けないし迫力もない。一度フィルムに焼きつけられたことでライヴ感が失われてしまうのだろう。

マジックを題材にしたミステリー小説もいろいろある。作家のクレイトン・ロースン、そして日本の泡坂妻夫氏は、どちらも実際にマジシャンだったことで有名であり、マジックを扱った小説も書いている。

ところがファンの皆様には申し訳ないが、ロースンの描くマジックは仰々しくてわざとらしいし、また泡坂氏の場合はむしろマジックの仕掛けの精神や遊戯性が小説として昇華されているのであって、たとえば実際に奇術ショウが描かれる『11枚のとらんぷ』では、貧相な場末の雰囲気の方が強調される。

ほかにも作者がマジックのタネを知って書いている小説はいろいろあるが、読んだ限り出てくる手順はマジック教本に載っているものばかりだ。

小説に込めた願い

私は今回の小説で、本当にマジックの描写で読者の皆様を楽しませたいと思った。世界で初めて、マジックの描写で驚いていただける小説にしたいと願った。これは煎じ詰めればつまりセンスの問題であり、私にセンスがあるかどうか自分ではわからない。結果がすべてだ。プロマジシャンの方々に合格点を出していただけるかどうかもわからない。だが私はエンターテイナーでありたいと願った

こうした情熱は文芸評論家の方々にはたいてい伝わらないものである。凝った科学描写をしても書評で褒めていただいたことは一度もない。だからどこかで誰かが楽しんでくださればと願うのみだ。