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『負け犬の遠吠え』著者が、親と兄の死を目の当たりにして思ったこと

あれから15年を経て

もう私以外にいないんだなあ

―「30代以上・未婚・子ナシ」の三条件が揃った女性を「負け犬」と称し、一大センセーションを巻き起こした『負け犬の遠吠え』。あれから15年、奇しくも令和の幕開けに刺激的なタイトルを再び世に送り出すことになりましたが、きっかけはどこにあったのですか。

私の兄の他界がきっかけでした。大学時代に祖母を亡くした後、30代で父を、40代で母を亡くし、兄の死によって、ついに自分が生まれ育った家族のメンバーが全員この世を去りました。

親は自分より先に死ぬとわかっていても、兄が他界したことは、私にとって想定外。私には子供もいませんから、いわゆる「家族」が、まさに終了したわけです。あわよくば、最期は兄に看取ってもらおうと目論んでいたのに……。

戦後、個人主義が流入してからは、かつてのように家を存続させるために結婚する人は少なくなった。だからこそ今後、私のように「家族終了」という局面を迎える方は、ますます増えていくのではないかと思ったんです。

 

―肉じゃがの具や、お年玉の習慣の有無といった「どうでもいいことながらちょっと気になる家族の疑問を訊く相手が、もういない」という一文にハッとさせられました。

とはいえ、しょっちゅう母親の料理のことを考えているわけではないのですが(笑)。けれど、ふとしたときにそういう寂しさを感じることはあります。

先日、父親の命日でお墓参りにいったときも、父の在りし日の姿を思い浮かべながら手を合わせる人は、もう私以外にいないんだなあ、としみじみした気持ちに。子供の頃はどうでもいい存在だと感じていたお墓や仏壇の意味が、わかってくる年頃になりました。

一方で、自分が死んだ後は、例えば兄の娘である姪にお墓を守り続けてほしいとは思いません。「家の墓」などは負担になるでしょうし、こちら側も、死して後に家に縛られたくはない。今は仏教の法要でも三回忌以降は省略傾向だと聞きますし、戒名にお金をかけない人も多い。お墓も葬儀もどんどんカジュアル化しつつありますが、そちらの方が自然ではないかと思います。