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9のつく年は、ドイツの歴史が動く。では、2019年は何が起こるか

近代史を振り返ってみると

100年前からおさらいすると

1949年5月8日、西側占領地域の州の代表で構成された臨時政府が、数ヵ月かけて起草した基本法(憲法に相当)を可決した。憲法は独立国家の骨組みだ。

これにより、その15日後の5月23日、ようやく西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が建国された(東ドイツ〈ドイツ民主共和国〉の建国は同年10月)。ドイツが第二次世界大戦で無条件降伏をしたのが1945年の5月8日(対ソ連は9日)だったので、すでに4年が過ぎていたことになる。先日、ドイツ連邦議会で、基本法成立70周年記念式典が執り行われた。

1949年の当時は、皆が、東西分裂は一時的措置と思っていたが、この状態がその後40年間も続く。そのうち、東西ドイツの間には壁が築かれ、それを越えようとした大勢の東ドイツ人の命が失われた。

東西ドイツの経済力は、天と地ほども広がり、西にはベンツやポルシェが走り、東にはダンボールで作ったと言われたトラバントが走った。同じドイツ人の国なのに、東ドイツの生産性は驚くほど低かった。

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さて、冷戦の象徴だったベルリンの壁が落ちたのが1989年。ドイツではなぜか、大事なことの多くが9の付く年に起こっている。9にちなむドイツの近代史を、少し振り返ってみると、まず100年前の1919年6月。ヴェルサイユ条約の締結だ。

第一次世界大戦の後始末のために、戦勝国とドイツの間で結ばれた講和条約だが、これにより戦争の責任はすべてドイツに押し付けられた。ドイツには膨大な額の賠償金が課せられ、これをドイツが完全に処理し終えたのは、終戦から92年が経過した2010年10月のことだったというから凄まじい。

また、ワイマール帝国の誕生も1919年、8月のことだ。ワイマール憲法は、世界で一番民主的な憲法だったといわれたが、当時のドイツは無理な賠償金支払いに加えて、資源の宝庫であるライン地方も取り上げられており、経済状態はすこぶる悪かった。

国民の不満は膨張し、立派な憲法も民主国家も、国民の気持ちを和らげるためにはあまり役に立たなかった。そうするうちにインフレが加速し、1924年の1兆倍のハイパーインフレにつながっていく。その不穏な空気に乗じて、ヒトラーが国民の不満を一つにまとめることに成功。ついに政権を掌握したのが1933年だ。

 

1939年8月、ドイツとソ連は、突然、独ソ不可侵条約を結んだ。驚いたのは日本だ。日本は1937年よりドイツと日独防共協定を結んでおり、ともにソ連に立ち向かうと信じていた。しかもこのとき、日本はノモンハンでソ連と交戦中だったのだ。しかし、この独ソ不可侵条約で、日独防共協定は紙切れとなり、平沼内閣は「欧州の天地、複雑怪奇なり」と言って総辞職してしまう。

その2日後の9月1日、ドイツとソ連は示し合わせて、東西からポーランドを挟み撃ちにした。さらに、その2日後、ポーランドと同盟を結んでいたイギリス、フランスがドイツに宣戦布告。こうして戦争が始まった。

ただ、ドイツは、1941年6月には、今度は独ソ不可侵条約も破り、ソ連に侵攻。このあとドイツが本格的にホロコーストに着手し、坂を転がり落ちるように没落していく様子は、ここで説明するまでもないだろう。

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