秘密警察、密告制度…旧東側の実態が、なぜ今私たちの胸をうつのか

全く違う体制なのに、どこか似ている?
中川 右介 プロフィール

彼らは、友だちを裏切れない。これは「政治」という災難に巻き込まれた高校生たちの友情のドラマ、純然たる青春映画として展開する。

友だちを裏切らないために、そして自分のエリート候補生としての将来のために、彼らは、希望という名の列車に乗ることを選ぶ。

1956年なので、まだ「ベルリンの壁」はない。

比較的自由に東西ベルリン間は行き来できた。実際、この時代に西ベルリンを経由して、東ドイツから西ドイツへ行くものが多いため、東ドイツとソ連はベルリンの壁を作ってしまうわけだ。

しかし、いったん西へ行ってしまうと、もう戻れない。家族をと別れることを意味していた。高校生にとっては過酷な選択だったろう。

この映画には、この事件の当事者の高校生だった人が書いた原作がある。

ディートリッヒ・カズルカ著『沈黙する教室』(大川珠季訳、アルファベータブックス)で、映画を見て、あの高校生たちの「その後」を知りたければ、この原作を読まれたい。

沈黙する教室

相互不信の社会がたどりつくのは?

全体主義が恐ろしいのは、筋金入りの反体制活動家が弾圧されることもさることながら、政治にとくに関心のない人でも、何かのきっかけで、反体制活動家と思われ、追い詰められてしまうということだ。

ソ連・東欧の全体主義は、秘密警察と密告制度によって成り立っていた。自分が助かるためには親友だろうが家族だろうが恩人だろうが、誰か他人を密告しなければならないという、相互監視、相互不信の社会である。

誰も信用できない社会では、皮肉なことに、最も信用できるのは国家になってしまう。

国家に忠誠を誓い、裏切らなければ、とりあえず身の安全は保証される。

誰もが国家、権力者の顔色を伺う。

ここで、「これはいまの日本社会にも言えることだ」と書いてしまうのは、あまりにも安直すぎる。だけど、どうしてもそう書いてしまいたくなる雰囲気が、いまの日本にはある。

冷戦に勝利したはずの自由主義国は、冷戦時代のソ連・東欧社会と同じような、相互監視の相互不信社会となり、それゆえに、国家主義を志向する政治家が支持されてしまった。

半世紀前の、違う体制の国での出来事を描いた映画が、やけに近く感じた。

中川右介「冷戦とクラシック」冷戦とともに歩み、冷戦の終結とともにこの世を去った音楽家たちの姿から、戦後クラシック界の興亡を描き出す