秘密警察、密告制度…旧東側の実態が、なぜ今私たちの胸をうつのか

全く違う体制なのに、どこか似ている?
中川 右介 プロフィール

ソ連は、自由が制限されている国だったが、一方、社会主義国だからこそ優れた芸術が生まれるとアピールする必要から、音楽やバレエなど、イデオロギー色の薄い芸術には手厚い保護をしていた。

才能のある子がいれば、国が育成する。その意味では、資本主義国での才能ある貧乏な家の子よりは、恵まれていた。

ソ連に、著名なピアニストやヴァイオリニストが多かったのは、そういう教育システムがあったからで、同様にバレエ・ダンサーにも養成システムがあった。

音楽だけでなく、スポーツにも言えることだ。オリンピックでのソ連・東欧諸国の選手の活躍ぶりは、60年代から80年代に生きた人は、記憶しているだろう。いまのロシアのフィギュアスケートの選手に、その名残を感じる。

だから、貧乏な家庭に生まれたヌレエフも、才能が認められると、養成学校に入り、レッスンを受けることができた。

そうやって芸術家になった人は、国家に奉仕することが求められる。

1953年にスターリンが死んだ後、ソ連には一時、「雪解け」と呼ばれた時代があり、国内では自由の制限が少しゆるくなり、外交的には「緊張緩和」となって、西側との文化・芸術の交流が始まり、相互に芸術家が訪問するようになる。

1961年、ヌレエフの所属するバレエ団も、その文化・芸術交流としてパリへ行く。

だが、当然、バレエ団にはKGBの監視員も付いていて、西側の人間との接触しないように見張っている。そのKGBの過剰反応が、ヌレエフを亡命させてしまうという、皮肉なドラマだ。

ヌレエフは、ソ連社会に何の不満もないわけではないが、反体制運動とは何の関係もないし、反ソ的、反社会主義的な思想とも無縁だ。

亡命の計画を立てていたわけでもない。亡命を決意する瞬間まで、亡命しようとなどまったく考えていない。追い込まれての亡命だった。

 

反政府運動のつもりじゃなかったのに…

『僕たちは希望という名の学校に乗った』の主人公は、東ドイツのエリート高校生たちだ。

音楽やバレエのエリート同様に、「学業の成績のいい子」も恵まれていた。彼らは大学へ進学するための高校に通う。

そこでは、いわゆる学問での成績もさることながら、国家に従順であるかも、評価の基準となる。

この映画の時代背景は、1956年のハンガリー事件直後。

ハンガリーで、ソ連の傀儡政権が支配する体制への不満が爆発した事件だが、鎮圧されてしまう。

それを知った東ドイツのエリート校の生徒たちが、授業の始まりに、2分間、沈黙する。犠牲者への黙祷のつもりだった。

これが教員に咎められ、はては文科大臣までが乗り出す事件となり、首謀者探しが始まる。

生徒たちは、別に反政府運動をするつもりはまったくなかったのに、そういう立場に追い込まれてしまうのだ。