1989年、ベルリンの壁によじ登る人々〔PHOTO〕gettyimages

秘密警察、密告制度…旧東側の実態が、なぜ今私たちの胸をうつのか

全く違う体制なのに、どこか似ている?

なぜいま「冷戦」映画なのか

昭和が終わった1989年にベルリンの壁崩壊と東欧革命があったことが示すように、日本の昭和戦後は、世界的には「冷戦時代」となる。

その東西冷戦時代の「東」側を舞台にした映画を続けて2作、見た。

ソ連から亡命したバレエ・ダンサー、ルドルフ・ヌレエフの伝記映画『ホワイト・クロウ』と、東ドイツの高校生たちを主人公とした『僕たちは希望という名の列車に乗った』である。どちらも、実話をもとにした劇映画だ。

偶然なのだろうが、あの時代を振り返りたくなっている人びとが、それなりの数いるのだろう。

冷戦時代は、けっして甘く美しい時代でない。実際、この2作は、見ていて辛い。

『ホワイト・クロウ』はバレエ好きが見るかもしれないが、バレエファンもそう多くはない。『僕たちは希望という名の列車に乗った』には、大スターが出ているわけでもなく、大衆受けする要素は少ない。

どちらも、そう儲かる映画ではなさそうだが、こういう映画ができたのは、なぜだろう。

まず、「いま」を逃すと、当時を知っている人がいなくなってしまうという「時間」的理由がある。

もうひとつは、ソ連・東欧の一党独裁政権が崩壊して世界は自由と民主主義になったはずなのに、なんとなく今の世の中も息苦しいという「気分」を表現したいとの思い。

しかも、「息苦しい話」を「いまの話」として描くことすら、ためらわれる「気分」があるので、過去の物語を借りて、その気分を描いた――のではないか。

 

世界的バレエ・ダンサーの亡命

冷戦を描いた映画といえば、キューバ危機を題材にした『13デイズ』や、『ブリッジ・オブ・スパイ』や『寒い国から帰ってきたスパイ』などのスパイものがある。

『ホワイト・クロウ』と『僕たちは希望という名の列車に乗って』は、それらとは異なり、普通の人々が主人公だ。彼らは政治活動をしたわけではないし、政治的に弾圧されていたわけでもない。

その「普通の人々」が、成り行きで亡命せざるをえなくなったという点で、2作は共通する。

ホワイト・クロウは訳せば「白いカラス」。「ありえないほど、すごい」という、天才の比喩のひとつだ。いうまでもなく、映画『ホワイト・クロウ』では天才バレエ・ダンサー、ルドルフ・ヌレエフが、その「白いカラス」である。

ルドルフ・ヌレエフルドルフ・ヌレエフ(1938-93) 1961年にソ連から亡命した〔PHOTO〕gettyimages

もちろん、ヌレエフは世界的バレエ・ダンサーだから「普通の人」ではないのだが、政治的には普通の人だった。