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「人生の最終段階」への危うい事前指示

「死にたい」の「自由」が奪うものとは

「事前指示書」導入の功罪

終末期医療の意思決定のための「事前指示書(アドバンス・ディレクティブ:AD)」とは、患者が意思表示や判断能力が困難になる前に、主治医に対して医療行為の数々を行わない/行うことを指示する書のことである。

健康な時に書いておく「リビングウィル」とは違い、患者になってから、医者に対して、治療に関して(主には治療の差し控えや中止を)指示するための文章である。書き換え可能で、書かなくてもいいということになっている。

しかし、医師の中には事前指示書を「取る」と言う人もいる。一般的には病院に保管されることになるが、自由に書き換えるのは、病院では難しいこともある。いつでもどこでも書き換えられるよう、原本は患者自身が肌身離さず持っているべきだという報告もある。確かに、誰かに預けっぱなしよりは変更が効くはずだ。

生死のギリギリで、意思を覆して治療に踏み切る患者もいる。ただし、2018年8月に福生病院での透析中止で亡くなった女性患者のように、その時、治療再開を望んでも、叶えてもらえるとは限らない。正常な意識での判断ではない、と判定されることもあるからだ。事前指示書を作成したとしても、最終的な治療における「医学的判断」は、医師に託されているということだ。

90年代中盤は、事前指示書は日本の大きな病院でも使われていなかった。治らない深刻な病名は、患者が気の毒だから告知しないという権威もいたくらいだ。しかし、同様の慈悲の気持ちからか、延命装置を付けて放置された状態の者を、医師が安楽死させてしまう事件が続発した。

そこで、日本においても、病名告知やインフォームドコンセントに続いて、事前指示書が必要ということになったが、事前指示書の導入は、そう容易なことではなかった。

 

呼吸器は取り外せるべきか

ALSに関しても、人工呼吸器は付けたものの、やっぱり付けなければよかったなどということがある。英米などではALS患者には人工呼吸器を付けず、あるいは着けても外して、発症から数年で亡くなっている。それに比べて、「日本ではなぜこんなにも多くの患者が呼吸器を付けられてしまうのか?」「いったん付けたら外せないのか?」という疑問が、海外の神経内科医や患者団体から呈されて、国際的な交流の機会にも、しばしば話題にあがるようになった。

と同時に、日本の医者は治療一辺倒の傾向があるとか、ALS患者の「死ぬ権利」が守られていないのに、日本の患者団体は何をしているのかなどといったことが、辛辣に指摘されることもあった。日本人の国民性が曖昧であり、自律していないからとか、日本人は自己決定できないとか、また、規範や文化や宗教の違いなどから、論じられることもあった。

一方、そのような言論に対する反論としては、日本の難病医療の理念は、もともとアウトカム評価(対費用効果)が困難な疾患のQOL向上を目指すものである、ということで、ALSに人工呼吸器や胃ろうなどを施しても、治るわけではないのだが、それは無駄な延命ではなく、緩和ケアの一環として、行われてきた、というものだ。

しかし、国際的には、医療資源配分の根拠としてアウトカム評価は重視されるので、呼吸器を付けたALS患者のQOLが低く不幸なままなら、治療の価値なしということになってしまう。