受験生に「落ちる」は禁句?日本語のいい加減さを楽しもう

これが私のイッカゴン
きたやま おさむ プロフィール

「落ちる」受験生、「別れる」結婚式

ところが世の中には、この面白さを楽しめずに、言葉が意味と強く結びつきすぎて窮屈になっておられる方々がいます。言葉の意味に囚われ、受験生には「落ちる」は禁物とか、結婚式で「別れる」とは言わないようにとか、好きなように喋れない状況が多くなります。つまりは、言霊信仰なのです。

 

そのうえ現代は、急速にいい加減が許されなくなり、正確さが求められています。もはや天気予報も、時刻表も、賞味期限も、そして医療もいい加減にはできない。

この不自由が、私の軽い怒りを惹起します。いい加減に生きることの悪い意味だけではなく、良い意味に気がつくことは心の健康や柔軟性に繫がるはずです。それで、このたび『良い加減に生きる 歌いながら考える深層心理』(講談社現代新書)という本を出版することを思い立ちました。それも独りよがりを避けるために、精神科医の大先輩、前田重治先生を立会人として巻き込んで。

多くの物事に良い意味と悪い意味があります。天邪鬼は悪い意味だけ強調して、結婚式で「別れる」「別れる」と乱発したくなりますが、真面目は逆に美辞麗句だけ並べ立てます。
しかし、真実や事実は大抵が善悪両方から成るので、面白半分とか冗談半分とかの感覚こそ、じつは貴重なのです。若い時に「おらは死んじまったダァ」と歌った私は、今や老いて片足を棺桶に突っ込んでいます。そして、「ロンドン橋落ちた、落ちた」と声高に歌ってみるなら、かえって受験生はリラックスできる、という笑い話も生まれるのです。

このように「落ちた、落ちた」と歌う私は、あえて意味と記号のあいだの硬直した繫がりを緩めて遊んでいます。同じ記号が一つの意味を確実に持っているとか、あるいは文字は特定の読まれ方をするとかいう、この一つの記号と一つの意味や音との繫がりを撃ち、破壊することを、私は楽しんでいます。

日本語は「いい加減」。これが私のイッカゴン(誤)のようです。

(きたやま・おさむ 精神科医・作詞家)