photo by iStock

受験生に「落ちる」は禁句?日本語のいい加減さを楽しもう

これが私のイッカゴン

「時期早尚」と「時期尚早」、さあどうしよう

私はよく記号を見間違えたり、読み間違いをします。「停滞」と混同して、「渋滞」を「ていたい」と読んでしまったりする。文字や読み方をきちんと確認しないのです。しかし、「渋滞」と「停滞」などは、音だけではなく意味も似ているので、間違えても、それほど大きな問題にはなりません。

 

他にも、「一家言」をイッカゴンと読み間違えます。これも会話のなかで「イッカゴン」と言っても相手には通じてしまうので、なかなか直らないわけです。それで、「一家言」という漢字を見るたびに、イッカゲン、イッカゲンと小声で練習しています。

間違いが多いのは、幼い頃から私には両眼が外に向けて広がろうとする解剖学的傾向があり、見る対象に焦点を合わせる努力をしつづけているうちに目が疲れやすいからです。
医学的な診断は「外斜位」、単純に言うなら潜在性の斜視で、大学の医学部時代に発見されました。目を寄せる手術をおこない、ものが楽に見えるようになったのですが、今でも頭の奥で、目が外に開こうとする動きを感じます。

この目の困難が、私の細心で他人に任せられない性格や癖と連動しています。記号と意味や読みとがしっかりと結びついていないので、疲れてくると、金額を読み間違えたり、書き間違えたりもします。大きな失敗をしないのは、神経質に注意しているからで、抜かりはないかと耳や目と理解を連動させる努力がいつも続いています。

他方、耳はいいので、自分で言い間違いに気づき、「とかなんとか言っちゃったりして」と冗談にしてしまうこともしばしばです。時にそれが芸の域に達して、間違いと冗談は紙一重だと考えることもあります。親父ギャグの一例で、「時期尚早」を「早尚(そうしょう)」と読んでから「どうしょう」と言うのですが、これではどうしようもないですね。

こうして、一般的に日本語は同音異義語が多く、記号と意味の繫がりが緩く、ここにむしろ日本語独特の面白さがあると考えるようになったのです。たとえば「良い加減」を、いいかげんとも、よいかげんとも読ませて、そのままにしている日本語は、否定と肯定を両立させる、どっちでもいい領域を持っていると思うのです。

「適当」だって否定的な意味と肯定的な意味の両方がありますが、「アバウトな奴」というような否定的な意味の使い方は、日本語と違って本来の英語にはないはずです。いかがでしょうか。