故・萩原健一さんが自らの言葉で明かした「ショーケン」という生き方

「病を公表する気はまったくなかった」
現代ビジネス編集部

「演技」と「素」の狭間を演じる

〈役作りのために、ドナルド・キーン著『足利義政 日本美の発見』をはじめ、さまざまな文献を参照した。(略)

私は脚本のせりふをすべて平安末期の言葉に直した用語集を作り、コンタクトレンズを入れて目を白濁させるアイデアも考えた。(略)

自分で考えたせりふも提案した。たとえば、

「良き香りがするのう。なんと、水無月の栗の花の匂いがするではないか。もしや桜丸か。近う寄れ」という義政のせりふ。

「栗の花の匂い」は若い男の精子の匂いを意味する。貴族社会では品性を疑われる言葉だが、歌の名手だった義政の退廃的でデカダンスな嗜好を表している。

中野裕之監督や市川(森一)さんは賛成してくれたものの、最終的には「水無月の栗の花の匂い」の部分が削られた。観客、とくに若い世代には意味が通じないと判断されたのだろう〉

 

上は、映画『TAJOMARU』(2009年)に足利義政役で出演したときの言葉。

たとえば時代物に出る際には、多くの参考文献を読み込み、ときには歴史学者の講義を個人的に受けて役のイメージを膨らませた。また徹底した役作りは、プロテューサー、演出家、脚本家へのさまざまな提案にもつながっていった。

〈演技に見えたらしらけるし、まるっきり素のままだとつまらない。少しずつ素をこぼしながらもカメラがどこにあり、観客や視聴者が何を見たいのかを客観的に意識している。そのギリギリの状態がいちばんスリリングなのだ〉

映画、ドラマ、そしてライブ、それぞれ表現の方法が違いながらも、つねにその先のお客さんを意識して演じる。

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