時代気分と乖離した「善行美談」主義が招いた新聞経営の不振

大衆は神である(52)
魚住 昭 プロフィール

キング筋

野沢の回想で、さらに興味深いのは、清治が小保方宇三郎ら側近の名義でやっていた株取引の実態である。当時、兜町の動向を伝える各紙の市場欄には、週に2〜3度は「キング筋が売った」とか「キング筋が買った」という記事が出た。キング筋とは清治のことなのだが、世間の人たちは知らない。正体を知っているのは事情通の記者たちぐらいである。

 

報知の社長室には毎日、証券会社の人間が3人ほど気配状(きはいじよう/得意先へ配る当日取引の相場表)を持って出入りしていた。午後3時に証券取引所がひけると、4時ごろには証券会社員が持参した気配状が清治のもとに届く。もちろん、その前でも株の値動きが激しいときは、証券会社からそのつど電話連絡が入る。

清治が売り買いを判断するうえで利用したのが、経済界・官界などに張りめぐらされた報知の取材網である。野沢の席には、報知の重役が週に1〜2度のペースでやってきて「社長はこういう情報を望まれている。明朝までにまとめて報告を出せ」と命じた。

野沢は経済部(主に大蔵省など官庁を取材する)の担当記者に経済情勢を聞き、具体的な銘柄については商況部(株と商品市況を扱う)の部長と相談してレポートを提出した。すると、重役から「昨日の報告は良かった」とか「悪かった」という清治の感想が伝えられたという。

次も、秘蔵資料に遺された野沢の証言である。

〈そのうちに野村証券の調査部長をしていた人を嘱託にしようと思うんだが、どうだろうという相談が(上から)あった。当時、株に対する世間の人気が非常に高かった時代で、それじゃ会社に入ってもらおうと、東京会館で二度ぐらいご飯を食べながら、その人と相談した。

その人の意見は「個々の銘柄について書くことは非常に世間の注目を引くけれども、ただ問題はその株価が上がったら、それはそれでおしまいだ。たとえば記事を書いたときに百円のものが百二十円まで上がった場合、その後に出動しても意味がない」ということだった。「それじゃ、うちはそこをどういうふうに調整したらいいか」と聞いたら、「『この記事の利用は本日限り』と書いてもらいたい。早く見た人はそれで出動しても当たっていれば儲かる」と言う。

それで、そのやり方はだいぶ続きましたが、若い人たちの間で問題になって、誰の執筆か、社長の作意によることが推察できるわけですから、これは新聞の信用にかかわるというので、その行き方はやめまして、ただ銘柄だけを、この銘柄はいいか悪いかという程度にした〉

この証言は、若干補足説明をしておいたほうがいいかもしれない。

たとえば、特定の銘柄が有望だという記事に『利用は本日限り』という断り書きがつけば、それを読んだ投資家はその銘柄を買いに走ることになる。ということは、記事によって株価操作ができることを意味し、報知の記事が「社長の作意」で執筆される恐れがある。そうなっては「新聞の信用にかかわる」という声が社内であがり、記事の書き方を変えたということだろう。

半端でない取引額

清治は報知の社長就任前後に相次いで出版した自著『栄えゆく道』などで「株のような投機的なものに手を出すべきではない。堅実な蓄積を心掛けるべきだ」と説いた。にもかかわらず、株屋はしょっちゅう報知の社長室や彼の邸に出入りし、注文を取り、売った買ったをやっていた。

その取引額も半端なものではなかった。秘蔵資料に、清治の投資コンサルタント役だった小幡公の次のような証言がある。

〈(清治は株取引で)えらく儲けて喜んでいるかと思うと、ガタンと損をして笑っていたことがあった。損をしても悲観しなかったね。買った株価が下がると、現物の株を引きとる。いつかその株も上がるときがあるから、それまで待つわけだ。

ある日の深夜、社長から弁護士同道で音羽邸まで来てくれと電話があった。駆けつけると、社長と奥さんが深刻な顔をしていた。社長の話というのはこうだった。株の売買で百万円くらい儲けた。今の金で三、四億円だ。株屋は社長の注文を受けたが、それを場に出さないで、のんでいた。十万や二十万くらいの儲けなら、売買の証拠金として株屋に預けておくから、別に精算はしない。しかし百万円の大儲けをしたから一ぺん精算しろと社長が言った。ところが株屋がのんでいたから金を持って来られない。これが公になると、株屋は商売ができなくなるというので社長に泣きついていた。それでどうしたらいいかと、私と弁護士が相談に呼ばれたわけだ。

相談の結果、株屋をつぶしては元も子もないので、株屋の邸宅を抵当にとり、商売をやらせて、ポツポツ返させることにしよう、ということになり、弁護士が契約書を作り、私はその邸宅を見に行って、抵当権を成立させた。社長は、その後も、この株屋に大きな注文を出すので、手数料も相当あり、漸次支払って、結局、株屋も傷がつかないで済んだ〉

小幡はもともと清治の囲碁の指南役で、講談社の社員ではなかったが、清治の不動産取引のほとんどを取り仕切っていた男である。