今こんな政治家がいたら…「総理の椅子を蹴飛ばした男」をご存知か

戦争を経験した男の凄み
週刊現代 プロフィール

平出 昭和54年(1979年)11月に発足した第二次大平内閣で、伊東先生は初入閣ながら内閣官房長官を務めました。しかし、発足から半年余りで、大平総理が心筋梗塞で急逝してしまう。

伊東先生は総理臨時代理となりましたが、決して総理執務室には入らず、官房長官室で執務をされていました。総理執務室には大平さんの遺影を飾り、なにかあれば、都度、遺影に報告に行く。報告が終わると、また官房長官室に戻る。

盟友が総理在任中に亡くなるというショックにもかかわらず、淡々と執務をこなしていた。普通はできることではないでしょう。

Photo by GettyImages 大平正芳元総理

国正 伊東さんの名前が最もクローズアップされたのが、平成元年(1989年)にリクルート事件で竹下登首相が辞任に追い込まれた時です。この事件では竹下のみならず、前首相の中曽根康弘、次の首相候補だった安倍晋太郎に宮澤喜一、さらにその次の首相候補だった渡辺美智雄らが次々と巻き込まれていった。

当時、私は記事に「この国の政治は頭から崩れている」と書いたのですが、国民に広がる政治不信は深刻でした。

荒井 当時は田中金権政治の全盛でしたよね。

国正 はい。4月25日に竹下が退陣表明をしたことで、清貧の政治家、おカネに綺麗だということで、総務会長だった伊東さんを総理にという「伊東コール」が党内外から出てきたのです。

しかし、官房長官だった小渕恵三や幹事長代理だった橋本龍太郎など様々な人たちから、後継の候補にと打診されながら、伊東さんはこれを固辞します。

荒井 私の師匠である四元義隆さんが伊東さんと親しかったのですが、実は四元さんから「お前は伊東さんに可愛がられたんだし、農林省の若手官僚代表で伊東さんのところに行って総理になるよう頼んでこい」と言われ、当時、私も伊東さんにお会いしたんです。

その時、私はまだ農林省の一課長補佐でしたから、荷が重かったですよ。

平出 そんなことがあったんですね。

荒井 ええ。伊東さんは、「ありがとう。君たちのような若い人までそう言ってくれてありがたい。でもな、俺の机の上を見てみろ」と言うんです。「なんですか?」と机の上を見てみると、置いてある書類はみんな字がとても大きい。

糖尿病を患っていて、視力が低下するほど深刻な病状だったようです。伊東さんは「こんな半病人で、日本がピンチの時に背負って立つことはできないよ」と言ったんです。私は総理を固辞した最大の理由はやはり健康問題だったのだと思います。

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