今こんな政治家がいたら…「総理の椅子を蹴飛ばした男」をご存知か

戦争を経験した男の凄み
週刊現代 プロフィール

国正 会津中での思い出は、後年、伊東さんも『会津高校百年史』に寄せて「私はそうした気風(質実剛健、信頼、誠実)が身に染み、母校卒業後も私の信念信条になっています」と振り返っていますね。

その後、浦和高校(現・埼玉大学)、東京帝国大学法学部を卒業し、昭和11年(1936年)に農林省に入省します。

荒井 はい、役人時代の伊東さんで有名なのが河野一郎農林相(当時)との逸話です。大臣相手に一切の忖度をすることなく、「税金は国民のために公正公平に使わなければならない」と主張して、しょっちゅう喧嘩していたそうです。

一度は名古屋の営林局長などに飛ばされますが、本省に戻ってくると農地局長という省で一番利権のある有力なポジションに就きます。そこでも利権とは無縁で公正公平を貫きました。

盟友・大平の遺影を飾って

国正 伊東正義を語る上で欠かせないのが大平正芳元総理の存在ですが、二人の出会いも官僚時代なんですよね。高等文官試験に合格し、伊東さんは農林省、大平さんは大蔵省(現・財務省)に入りました。

入省すると両省での野球大会が行われ、二人は別のチームで、伊東さんは投手、大平さんは捕手で出場した。試合後の飲み会が顔合わせだったそうです。

戦時中は、ともに中国にあった占領地の政務を指揮する「興亜院」に出向した。伊東さんは上海、大平さんは内モンゴルに赴任し、大平さんが時々上海に出てきては親交を深めたそうです。

平出 先生は事務次官まで務め上げた後、昭和38年(1963年)に自民党公認で衆院選に出馬し、初当選を果たします。

 

荒井 ただ、2度目の選挙では実は落選されているんですよね。昔のキャリア官僚というのはたいてい経済界などの良家のお嬢さんとの見合い結婚がほとんどでした。

しかし、伊東さんはそういう見合い話を断って、同じ課の普通の女性職員と恋愛結婚をした。

落選した時に先輩連中が、「伊東はあの時俺の言うことを聞いて(良家の子女と結婚して)いれば、選挙資金の心配もなく、選挙地盤ももらって、今頃こんなに苦労しなくても済んだのに」と言った。

それが伊東さんに伝わり、夫婦で「悔しい」と言って二人で懸命に選挙区を回って、晴れて再当選を果たしたのです。しかし、結果的にその時期があったことで盤石な地盤を築くことができた。

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