「誰もが通る道」だからこそ

2018年12月28日の朝、父が死んだ。73歳だった。とても寒い日で、その寒さが強く印象に残っている。親を見送る──。自分が先に死ぬのでなければ、誰もが経験する“当たり前”のことだが、経験して初めて知ること、知っておけばもっとうまく対応できたのに、と思うこともあった。その“当たり前”の事柄の一例として、私の体験を「お金」にフィーチャーして紹介する。

筆者は47歳。父は1945年、母は1942年生まれだ。「親はいつか死ぬ」ことはわかってはいたが、遠い未来のいつか起こりうること、ととらえていた。そんな私に言われたくないだろうが、同じように考えている同年代の方がいれば、筆者を反面教師とし、物理的にも精神的にも備えておくことをおすすめしたい。

両親は、数年前から私が購入した都内のマンションで暮らしていた。もう故郷には私が生まれ育った家はない。本人にそう依頼されたわけではないが、財産もなければ、東京にほとんど知り合いのいない父の葬儀を東京で華美に行う必要はない。東京で火葬し、菩提寺のある故郷で納骨するのがベスト、かつ安価だと考えた。意味のないお金を使う余裕は、未婚のフリーランスライターである私にはない。いや、未婚であることは、自分の家族だけケアすればいいのだから、私自身はポジティブにとらえているけれど。

厳密に、葬儀を「最安値」にしようと思えば、葬儀社を通さず、火葬場も棺も自分で依頼する方法もあるが、時間と手間がかかるのは容易に想像がつく。そこは、お金で解決したい。私は、自分が置かれた状況においての、「最安値」を模索しようと考えた。

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文/長谷川あや

父の介護に月10万近く

その日は突然やってきた。2017年8月1日、父が脳出血を起こし病院に運ばれた。そして、父は二度と目を覚ますことはなかった。多少足腰が悪くなってはいたが、それまで普通に生活していたはずなのに突然のことだった。医師は意識が戻る可能性はほとんどないと言った。

時間の経過とともに、父が病院で眠り続けていることが、家族の「日常」になった。最初は、「お父さん、本当にもう目を覚まさないのかな」と言っていた母も、2、3ヵ月経つ頃には、「このままの状態なら、早く死んだほうが楽よね。お父さんも私たちも」と口にするようになった。私も同意見だった。月々支払わなければならない金額は、後期高齢者医療制度を利用しても、実費となるオムツ代も合わせると10万円近く。私にとっては、かなりの出費だ。両親は民間の医療保険には入っていなかった。

2018年12月15日、病状が悪いので医師から話がある、と病院から電話があった。翌16日、母と病院に出かけたところ、肺炎を発症していて全身状態が悪く、いつ息を引き取ってもおかしくない状況だという。医師は、「もはや積極的に治療をする状況ではありません」と付け加えた。ついに「その日」が来るんだ……。

「葬儀業者」と「葬儀社」

いろいろな感情が込み上げてきたが、私はその感情をシャットアウトした。今考えなければいけないのは、父の死後のことだ。父が意識不明になり、1年半近くが経過しているにも関わらず、私は葬儀について、「直葬」でやろうということ以外は、具体的には考えていなかったのだ。自宅に戻り、早速、ウェブサイトから一斉見積もりを依頼する。

私が考えていた葬儀の形態は、通夜や葬儀は行わず、火葬のみ行うという「直葬」。今流行りの、そして、最近、「安かろう悪かろう」問題も指摘されている葬儀の方法だ。葬儀社を通して依頼する場合、これがもっともシンプルで、「最安値」のプランとなるはずだ。私たちの菩提寺は地方にある。父は数年前故郷から東京の私のマンションに移り住んだ。最期を迎えた病院も東京だった。東京でお骨にし、故郷のお墓に納めるのが自然、いや当然だと考えた。

寝台車を自分で手配し、棺を購入し、火葬場の予約も自分で取れば、もっと安価にすむであろうが、葬儀のプロに依頼する「直葬」というスタイルが、今、私が置かれている状況にあたってはベスト、かつ最も安価な選択だと思った。