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「ナチスに迫害された画家」の展覧会が問う現代ドイツの倫理観

歴史の分断が繋がるとき…

「退廃芸術家」の本当の顔

ベルリンの「ハンブルク駅・現代美術館」で、4月から「エミール・ノルデ − ドイツのある聖人物語。ナチ政権下の芸術家」というタイトルの特別展が開催されている。ノルデは1867年生まれの、ドイツ表現主義の偉大な画家だ。

ドイツでは1930年代、ナチが、前衛的な作品を「退廃芸術」として駆逐し始めた。ナチは、ギラギラした色彩や、デフォルメした人物像などを好まず、それらは非道徳的で、人々を堕落させるとした。

もちろん、本当の理由は、そういう個性的な作品を創造する芸術家たちを、ナチが御しきれないとの懸念があったからだと思う。彼らが自分たちに従わないだろうことを、ナチの幹部たちはおそらく直感的に知っていたのだ。

1937年、「退廃芸術」は全国の美術館から押収され、それらを集めた「退廃芸術展」が、見世物のように開かれるようになった。ノルデの作品は、退廃芸術として選ばれた中で一番数が多く、1052点にも上った。れっきとしたナチに迫害された画家である。

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ところが、ときが流れ、2013年、これまで伏せられていたノルデに関する3万件近い資料が開示された結果、ノルデはヒトラーの信奉者だったということが明らかになった。現在開かれているベルリンの展覧会では、その研究結果が公開されている。

ナチの権力が最高潮に達していた1937年、70歳のノルデは、「わが祖国とその栄光のため」という言葉を添えて、総統ヒトラーに銀の燭台を贈ったが、展覧会ではその燭台も見ることができるという。そんなわけで、ドイツでは今、突然、ノルデの話題沸騰となってしまった。

ノルデはユダヤ人を嫌っていた。ドイツの芸術界がユダヤ人に席巻されると感じていたからだ。「ドイツ芸術とユダヤ芸術は完全に分離しなければならない」というのがノルデの信念だった。

確かにユダヤ人は当時、自然科学はもとより、芸術、音楽、映画の世界でも圧倒的なプレゼンスを誇っていた。ノルデはおそらく自分を、ドイツ芸術をユダヤ人から守る砦と位置付けていたのではないか。だから、ユダヤ人排斥を是とするヒトラーの思想に共鳴した。

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ところが、ヒトラーに銀の燭台を贈った数週間後、彼は自分の作品が、退廃芸術として美術館から消えたことを知った。ノルデの作品はいかにも前衛的なので、今思えば、それは意外でも何でもないが、本人は想定外だったのだろう、ひどくショックを受けたと言われる。それを機に、他の「退廃芸術家」たちは堰を切ってドイツを離れたが、ノルデは違った。

 

彼はドイツを去らなかったばかりか、さらに反ユダヤ色を強め、ナチの幹部たちにそれをアピールした。彼は元々、大勢のナチの政治家と親交があった。政権の中にもノルデの後援者がいた。興味深いことに、翌38年、ノルデの名は退廃芸術家のリストの中から消えている。

しかも、ナチの幹部、産業界の大物、あるいは、外国人コレクターたちは、その間にも、ノルデの絵を好んで買っていた。「退廃芸術家」の肩書など、彼らにとっては何の意味もなかったらしい。だから、ノルデの収入は常に、他のどの画家よりも多く、「2万ライヒスマルク(ライヒスマルクは当時の通貨単位)の殉教者」と揶揄されたりした。

1940年のノルデの収入は、2万どころか、ほぼ8万ライヒスマルクだったと言われている(現在の価値でいうと、5~6000万円?)。

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