重度アルツハイマー病の人はどのように言葉をとりもどしたか

介護のベテランはこう関わった
右馬埜 節子 プロフィール

しだいに断片的な会話が成立し始める

最初に書いた通り、このときの老健での研修はだいたい10日間でしたが、1日だけ休みをとることができました。休みの前日、私は、「明日休みます。明後日また来るから」と言うと、トモキさんは手を振って「バイバイ」のサインをしてくれました

それどころか、だんだん口を利いてくれるようにすらなったのです。

研修が始まって、1週間ほどたったころです。

私、車を買おうかと思うんだけど、どんなのがいいかな

と言うと、トモキさんが、

やめたほうがいい

と一言。言葉で返事がくるとは思っていなかったので、びっくり。すかさず「なんで?」と聞きましたが、あとは無言のままでした。

【写真】だんだん口をきいてくれるようになった
  10日間の研修で、だんだん口をきいてくれるようになった photo by fgettyimages

研修も後半に入り、少したつころには、会話が成立しはじめました。「トモキさんの家はどこですか」と聞くと、「田舎」と答えてくれます。どういう意味か考えましたが、“会話が成り立てばどうでもいい”と思い直し、話しかけます。しかし、長時間会話が続くことはなく、誰にも相手にされない時間が長すぎたことの弊害を知りました。

そして研修も終盤。私はお別れの挨拶のつもりで、

もうここに来られなくなるので、今度トモキさんの家に行ってもいいですか

と言ってみました。すると

ダメ。ワイフがいるから

と言うではありませんか。

奥さん怒るかな

と私が言うと、

ここならいいけど

と返事が。なにやら誤解はありましたが、やっと意思疎通ができたことに感激しました。

そして最終日。私はトモキさんを寂しがらせたくなかったので、研修終了の挨拶はせず、スッと消えるつもりでいました。

しかし、どこかで“もうお別れ”と察知していたのでしょうか、廊下を歩くトモキさんのつぶやきが耳に入りました。小さいけれど怒りを込めた声で、

クビにされた

とくり返していたのです。何か消化しきれない感情を、思いを、声に出していました。この言葉が、彼の孤独感を表現したものなのか、それとも何かを誤解して発せられたものなのか、そもそも誰に向けられたものなのか、今もわかりません。

研修の間中、私はトモキさんと関わり続けていました。すでに書いた通り、「ウソも方便」で上手に関われていたと思います。しかし、この時だけはうまく言葉をかけてあげることができませんでした。でも、今なら、

こんなはずじゃなかったよね

と声をかければいいのだとわかります。”あなたの気持ちはわかる”という共感を示すことができていれば、きっとトモキさんは落ち着いてくれたと思うのです。残念ながら当時の私は、まだ、そうした言葉の大切さに気づけていませんでした。

トモキさんと私は、約10日間、「信頼」という糸で結ばれていたような気がしています。以心伝心と言いますが、信頼関係ができると、言葉が足りなくとも肝心なことは通じ合えるものだと教えられました。でも「クビにされた」を思い出すたびに、少しだけ悔いを覚えます。

言葉が出なくても、認知症の人と私たちはわかりあうことができます。これから介護に携わることになるひとが、私のような後悔をしなくてもすむよう、この記事で紹介した声かけが参考になることを祈ります。

*この記事は『認知症の人がパッと笑顔になる言葉かけ』より作成しました。

好評の右馬埜 節子さんの記事、次回は6月25日公開予定です。

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  滑舌が悪い、声が出にくいなど、失語以外にも、話すことのコミニケーションがとりにくいことがある。「そうなのよ」だけ明瞭に発声できたこの人の場合は肯定だけで切り抜けた、という例
【書影】

認知症の人がパッと笑顔になる言葉かけ

右馬埜 節子

本書では、ほんの少しの言葉かけで、そんな「ネガティブ気分」を晴らす方法を紹介。本人の毎日も、介護者の心も、パッと明るくなるケアの技術を教えます!ご紹介したように、マンガも多く、抱腹絶倒のうちに、明るい介護が学べます!