OUT IN JAPAN」というプロジェクトをご存知だろうか。フォトグラファーが5年間で1万人のセクシャル・マイノリティポートレートを撮影し、日本のLGBTをはじめとする人々にスポットライトを当てようというプロジェクトだ。

2016年に作成された「OUT IN JAPAN」のスペシャルムービーに続き、2回目のスペシャルムービーのテーマソングも提供しているのが、シンガーソングライターの清貴さんだ。しかし実は清貴さんは2000年にデビューしてから15年間、ゲイであることを公にカミングアウトできずにいた。清貴さんに、自身のアイデンティティに気づいたときのこと、カミングアウトできなかった理由、そしてカミングアウトした理由について聞いた。

インタビュー・文/梅津有希子

デビューのきっかけは
「彼女が作ったデモテープ」

5月12日、母の日。銀座のライブハウスでは、シンガーソングライター・清貴のライブが行われていた。2001年に40万枚の大ヒットとなった『The Only One』を覚えている人も多いだろう。2018年には、『MY VICTORY』や『無限大∞』がフジテレビ系列の平昌パラリンピックテーマソングにも選ばれている。

『Happy Mothers Day』と題された今回のライブでは、清貴の母・美貴子さんもステージに立ち、布施明の『My Way』を力強く歌い上げた。ゴスペルを愛し、幼少の頃から「ブラックミュージックに惹かれていた」という、清貴のルーツは終戦後アメリカ音楽を直に聴ける横浜の米軍基地で働いていた祖父にある。音楽好きの血は娘から孫へと受け継がれた。家事の傍ら常に大好きなソウルミュージックなどをかけていた母親の影響で自然と黒人音楽に親しんでいた。

仙台の進学校に通っていた2000年、17歳でデビュー。きっかけは、「当時付き合っていた」彼女がレコード会社に送ったデモテープだった。

中学生の頃。小学生のときに習ったピアノの先生がバンドをやっており、コードを教えてもらった 写真提供/清貴

「カラオケボックスで歌っていたら、それを彼女が録音していたんです。彼女も歌手を目指していて、自分のテープと一緒に僕の歌も送っていて。すぐにスタッフから『東京に来てほしい』と連絡があり、即デビューが決まりました」

宇多田ヒカルのデビュー曲『Automatic』が社会現象となったのが1998年のこと。R&Bが一躍人気を博し、“歌姫”ブームが到来。数々のアーティストがデビューするなか、清貴もトントン拍子にデビューが決定し、3rdシングル『The Only One』はドラマ『Pure Soul~君が僕を忘れても』の主題歌にまでなった。

高校時代の清貴は、女性が好きだったのだろうか。

「当時はまだ男性が好きという確信はなくて曖昧な時期でした。彼女も歌が上手で、お互い歌が大好き。一緒にデュエットするのも楽しくて、高校1年の時からお付き合いしていたんです。一緒にいて心が休まるし、人としてとても素敵な人でした。デビューが決まると一緒に上京して、同士のような関係性でしたね」

しかし、恋愛感情とはちょっと違うとも感じていた。「自分はやっぱりゲイだ」と気づいたのはデビューしてすぐのこと。「このまま自分の気持ちに嘘をつき続けていいのだろうか」と悩んだ清貴は、生まれて初めてカミングアウトする決心をする。

「付き合って3年半経った頃、このままだと彼女の人生もダメにしてしまうかもしれないと思い、『実は男性が好きなんだ』と伝えたんです。そしたら、彼女がマンション中に響き渡るような声で号泣して……。人生初のカミングアウトは罪の意識しかありませんでした。これだけ自分を支えてくれた人をこんなに傷つけてしまった、自分がゲイだと正直に伝えると、こんなことになってしまうんだと実感したんです」