「虐殺の歴史」を背負ったルワンダに進出する中国のリアル

安田峰俊・チャイナフリカを往く①

いたるところに、漢字、漢字、漢字が…!

「你好! 安田先生!(こんにちは!安田さん)」

小さいが清潔感のある空港から外へ出ると、私の名字が書かれた紙を持っている青年が流暢な中国語で声をかけてきた。彼の中国語名は子辰。紙には中国語で「歓迎」、日本語のひらがなで「ようこそ」と書いてある。彼は日本語はわからないが、Google翻訳で調べて書いてくれたという。

“子辰”と握手を交わした私のすぐ横を、機内で隣席に座っていた中国国営企業(資源系)に勤務する北京出身のビジネスマンの集団が歩いていく。彼らとは宿が一緒だったので「再見!(またね)」と挨拶を交わして見送った。

「四川電力阿壩公司」

現地の通貨を下ろすためにATMの列に並んでいると、またもや目の前に漢字があった。私の前に並ぶ男が、なぜか中国内陸部のインフラ企業・四川省電力公司アバ支社のサッカーチームのレプリカユニフォームを着ていたのだ。さらにミネラルウォーターのボトルを捨てる場所を探すと、中国語で「リサイクル」「その他のゴミ」と書かれたゴミ箱があった。

待っていてくれたピーター(子辰)と、空港付近で見かけた中国語の数々。ゴミ箱は中国の援助で設置されたらしく、英語よりも漢字のほうが文字が大きい。

そもそも、カタールのドーハで飛行機を乗り換えて以来、私はほとんど中国語しか使っていない。英語はせいぜい機内でのドリンクの注文と、入管で渡航意図を説明したときにちょっと喋った程度だ。

だが、私が来た場所は北京でも成都でもない。東アフリカの内陸部に位置する山岳国家・ルワンダの首都のキガリである。標高1500メートルほどの高原地帯に位置するキガリは、ほぼ赤道直下にもかかわらず、年間を通じて最高気温・最低気温の平均がそれぞれ約27度・約18度、湿度も低くて過ごしやすい。

“子辰”のルワンダでの名前はピーター・ムホザという(さらにフランス語でジャン・ピエール・ムホザという名もある)。意思疎通にほぼ問題がないレベルの中国語を話し、漢字のニックネームまで持っているが、れっきとしたルワンダ人だ。

ピーターとは、現地への渡航にあたり、北京の中国地質大学で恐竜学を学ぶ黒須球子(まりこ) さんのルームメイトのモザンビーク人留学生の友達の友達……という、恐竜とアフリカ系中国人材というカオスな人脈をたどった果てに知り合った。

(黒須さんについては、こちらの記事も参照いただきたい→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64445

 

中国を見るならアフリカを見よ!

ところで、私はなぜルワンダに行ったのか? 理由は簡単だ。いま、中国本土以外で中国ウォッチャーが最も見ておくべき場所は、アフリカだからである。

中国は1950年代以来、反帝国主義や第三世界の連帯を唱えてアフリカ諸国と独自のコネクションを築いてきた。イデオロギー主導の外交は1980年代にいったん下火になったが、21世紀に入ると資源エネルギー需要の増大や中国企業の対外進出(走出去)政策、さらに習近平政権下での一帯一路政策を受けて、アフリカとの関係が再び強化された。

※取材謝礼であるヤマハのステレオを手にテンションが爆上がりのピーター。ビックカメラの英語ページから欲しい商品を選んでもらったが、彼が選んだ液晶テレビは中国メーカーのハイセンス製だったので、第2希望のヤマハ製品を持っていった。

近年は中国の対外援助の5割近くを対アフリカ援助が占めている。「政治的条件のつかない援助」を合言葉に、相手国の政体にかかわらず(=たとえ独裁国家が相手でも)手を差し伸べる中国は、専制的な国も多いアフリカから見ればありがたい相手だ。旺盛な経済関係もあって、アフリカ諸国の対中好感度は軒並み高く、国連などの場でも中国の応援団として振る舞うことが期待されている。

そんなアフリカ諸国のなかで、私が今回訪ねたのがルワンダだ。1994年に50〜80万人もの犠牲者を出したルワンダ虐殺から、今年はちょうど25年目にあたる。いまこそ見ておくべき国だと言っていい。

詳しくは後述するが、内戦終結後のルワンダは「アフリカのシンガポール」を合言葉にスマート国家への脱皮を図っている。政治は専制体制、経済はニューエコノミーを重視した国家資本主義……と、国土面積が四国の1.4倍程度の小国にもかかわらず、中国さながらの国家を作ろうとしているのだ。

私は北京から約8000キロ離れたこの小さな国へ、「中国っぽいもの」を探す旅に出たのであった。