「今すぐ300億を…」ある証券マンが、謎の投資家から受けた挑戦

東京マネー戦記【12】2006年初夏
森 将人 プロフィール

急落するマーケットを前に、しばらくぼくも在庫を処分するので精一杯だった。大きな損失を計上したことで鳥飼も売買を止められているらしく、ほとんど連絡が取れなくなっていた。

興味深かったのは、鳥飼が動かなくなってから、信用力の低い企業の社債発行がほとんど見られなくなったことだ。結局のところ彼らの資金調達は、鳥飼をはじめとする数人の投資家に依存していたということなのかもしれない。

ぼく自身もリスクを取ることを制限され、毎日煮え切らない思いでディーラー席に座っていた。

じっと座っているだけのぼくに、何か存在意義はあるのだろうか。ディーラーにも、待たなければいけないときがあることはわかっていた。しかし自分のいないマーケットをただ眺めているだけでは、満足できないのも事実だった。

いつかふたたび、鳥飼から電話が掛かってくるのではないか。そう思って受話器に飛びついたこともあった。たいていは証券会社間の取次業者からで、後輩に替われば済む話だった。

もしかしたら、ぼくのいるべき場所は、もうここにはないかもしれない。そう思いはじめたときのことだった。

 

突然の「300億円」

ある投資家を訪問する予定があり、ぼくは夕方席を空けていた。一人のディーラーにすべての取引を任せる体制は変わり、複数の担当者が分担する形になって以来、ぼくの業務は少なくなっていた。

まとまった金額で社債を購入したい投資家がいるという連絡が入ったのは、訪問先に向かうタクシーのなかだった。L銀行という、それなりに名の知れた投資家だった。一定の信用力以上の社債を好む運用スタイルで、資金量も大きい。

「今日中に購入できる社債のリストが欲しいそうです」

携帯電話から伝わってくるのは、後輩ディーラーの興奮した声だった。

「今日中? もう4時だぞ。どうせ、すぐに買うわけじゃないんだろ?」

「よくわからないです。担当の部長が替わってはじめてのオーダーですから、どんなやり方をするのか見えません」

「本当に300億なんだな?」

「間違いありません」

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社債で300億円というのは、なかなか聞かない規模だ。ぼくは、今保有している社債をとにかく出すように指示した。投資金額の確保が重要だとすると、プライスは高くてもかまわない。

ぼくは後輩から送られた社債のリストを確認もせずに、送付の指示を出した。