「今すぐ300億を…」ある証券マンが、謎の投資家から受けた挑戦

東京マネー戦記【12】2006年初夏
森 将人 プロフィール

鳥飼が関心を示したのが、新興の不動産会社だった。不動産市況は引き続き活況を呈していた。しかし金利が上昇する過程で、どこかにコストが合わなくなる臨界点があるのではないか。その水準を認識しておきたい。

そのために不動産会社のビジネスモデルを検証し、在庫として持つ不動産の価値を割り出した。発行される社債の価値が、それに比べて割安か割高か。理論上の価値を出すことで、値上がりの可能性を試算しようとしていた。

 

投資家に惚れていいのは

「いつまであの投資家につき合うんや。ええ加減に手間を考えろや」

ぼくが鳥飼との取引に時間をかけていることが理解できないらしく、木村に何度か問いただされたことがあった。

「むずかしい投資家だということはわかってますけど、本気で動くと規模が大きいので無視できません。マーケットが崩れたから相手にしないっていうわけにはいきませんよ」

「別に無視しろとはいっとらん。変にのめり込むないうだけや」

「のめり込んでるつもりはないですけど……」

木村は、2年前の鳥飼との危ういディールのことを憶えていた。

「投資家に惚れてええのは、そいつが将来偉くなるか、本当に能力を持っとるかのどっちかやで」

「わかってます」

「どっちなんや。そのファンドマネージャーは、会社で偉くなりそうなんか? 将来でかい金を任されるような器なんか?」

鳥飼は、社内で昇格していくようなキャリアを希望しているように思えなかった。しかし鋭い相場観を持っているのは間違いない。

「もしお前がそいつを本気で信じるんやったら、俺もサポートしたるわ。でも信じられんようになったら、早めにいえよ。うちも運命共同体になりかねんで」

ぼくの肩を叩くと、木村は笑いながら自分の席に戻っていった。

木村はマーケットの反転に備えて、ディーラーの保有債券を減らすように指示していた。

そんななかでぼくだけが、鳥飼との取引を拡大させていた。今のところ利益が後押ししてくれているが、いつこの流れが止まるとも限らない。ぼくはあえて、将来のことを考えないようにしていた。

「悔しいんだよ」

勉強会は毎週、水曜日に開催することが多かった。夜7時頃に集まり、2時間ほど議論をして、軽くご飯を食べて帰る。

6月のある日、デパートのイベントで屋上が使えないときがあった。せっかくだから公園で飲むことにしたのは、鳥飼に話したそうな様子がうかがえたからだ。

「悔しいんだよな」

「何がですか?」

会話の間に本音が出たのは、1本目のビールを空けた後だった。

「最近たいした成績も残してないだろ。そうなると周囲の態度がよそよそしくてさ。冷たい連中ばっかりだよ」

「鳥飼さんに対してですか?」

「そうだよ。君たちはまだいい。マーケットに接してるから、俺がどんなにむずかしい局面で闘っているかが理解できる。運用会社っていったって、なかにはそうでない連中が少なくないんだよ」

鳥飼は、会社の上司のことをいっているようだった。鳥飼の成績に対する評価が十分でないことは、ぼくも何度か聞かされていた。人前で愚痴をいうタイプではないだけに、不平をいう姿が意外だった。

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