パリのノートルダム大聖堂の現在と過去と未来

これまでも、これからも
高遠 弘美 プロフィール

パリのノートルダム大聖堂前の広場には、ひとつの重要な印があります。パリからの距離を測るときの基点、ゼロポイントです。パリはもともとノートルダム大聖堂のあるシテ島から始まりました。

 

精神的な面だけではなく地理的に見てもパリの中心であり、フランスの中心であるノートルダム大聖堂の火災は、それだけに人々にショックを与えました。

鎮火の様子を祈りながら見つめていた人々は自然に聖母マリアへの讃歌「アヴェ・マリア」を口ずさんだと伝えられましたが、それも納得がいきます。今でいう観光名所の最たるものでありながら、それに留まらない精神的世界を人々に感じさせる祈りと瞑想の聖域。それがノートルダム大聖堂だったのです。

13世紀の面影が色濃く残る美しさ

そんなノートルダム大聖堂の建設が始まったのは、1160年頃と言われています。

しかし、何もない土地にいきなり建てられたわけではありません。7世紀にはすでに現在のノートルダム大聖堂とほぼ同じ場所に、サン・テチエンヌ(聖ステファヌス)の名前を冠した聖堂が建っていましたし、8世紀には聖母マリアに捧げられた聖堂もありました。それは19世紀以来、数次にわたって行われた発掘調査で遺構が発見されてわかってきたことの一つです。

言うなれば、現在のノートルダム大聖堂は第3のカテドラルとして建造され、少しずつ手を加えられ、1340年代にほぼ現在の形になったのでした。

天井まで33メートル弱。内部が暗く感じられるのは、採光よりも信者を多く入れるほうを優先したからだと言われています。ノートルダム大聖堂の収容人員は9000人に及びます(階上廊に1500人)。

筆者撮影
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12世紀以降、西ヨーロッパでは聖母信仰が盛んになり、各地で聖母に捧げられたゴチック様式のノートルダム大聖堂が造られました。それを支えていたのは人々の聖母マリアに対するすがるような思いと深い崇敬と信仰の念でした。

ところで、パリのノートルダム大聖堂が他のゴチック様式のカテドラルと大きく違うのは、均衡のとれた安定感にあります。

たとえばシャルトルの大聖堂に代表されるように、ゴチック様式のカテドラルは、多くの場合、天空への上昇を促すかのように、鋭く聳え立っています。しかし、パリのノートルダム大聖堂の正面(教会は西を向いて建てられます)の二つの塔は、高さ69メートルで、今回の火事で崩落した尖塔よりはるかに低く、しかも矩形になっていて、尖った感じがしません。調和という点からしても、見事に計算されつくした均整を保っています。

調和のとれた美しさは外見のみならず、内部に入っても変わりません。西側の端と、中央の南北の端にある3つの薔薇窓は、ほぼ創建当時のままのシャルトル大聖堂の薔薇窓とは異なり、何度も修復の手が入っていますが、13世紀の面影が色濃く残る美しさに満ちていると言われます。

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