『きのう何食べた?』が描く絶妙な“距離感”に私たちは魅了される

よしながふみと家族の食卓
福田 里香 プロフィール

これも個人的な見解ですが、よしながふみはその時代を切り開く作品性により、今後マンガを10、25、50年と長い時間軸で語るとき、必ず年表入りする重要な作家だと考えている。

なぜなら、同人誌→商業BL誌→少女誌→青年誌という流れで各ジャンルから声がかかったという展開は、90年代からゼロ年代にかけての、あの時代ならではの特殊性を感じるし、そのすべてで名作を残している上に、ジャンルに優劣をつけない価値観も新しいと感じたからだ。

その証拠に近年、よしながふみはコミケにも嬉々として復活し、BLもやめたわけではない、機会があればまた描きたいと発言している……といったような経歴は他に比類がなく、エポックメイキングと驚嘆するしかない。

 

フードを描かざるを得ない「業を負った」漫画家たち

話は変わりますが、人生にみちすじがあるように、物語にあらすじがあるように、マンガにも「あじすじ」がある。

マンガがその作品に登場する「味」をどう描くか、それが「あじすじ」だ。

フードマンガでもないのに、なぜか気が付くとフードをコマに描いてしまう作家が存在する。

例えば、萩尾望都、大島弓子、美内すずえ、高野文子、中村明日美子……マンガ家には、そんなフード作家とでも呼びたい、ある種の系譜が存在する。

一般的に世間では、食べ物を武器にして戦う作品や調理して食べることで癒される作品を「料理マンガ」とカテゴライズして、そうした作品が今やマンガ界において一大ジャンルを形成しているのは、周知の事実だ。

しかし、それとは別に、主題が料理に無関係なマンガにおいてすら、いや、おいてこそなのか、何かしらコマにフードを描き込まざるを得ないマンガ家がというものが、じつは密やかに存在する。

フードの周辺を描くことで、登場人物の性格や感情を精密に表現する天賦の才を持つひとびとだ。

どうしても料理を、コマに描き込んでしまう。

無意識のうち、バックにお菓子が飛んでいる。

そこに、自分と同根のフードに対する親愛と癒し、それから執着とトラウマを感じてしまう。

よしながふみも、もともと「フードマンガでもないのに、なぜか気が付くとフードをコマに描いてしまう作家」の系譜であったが、その彼女が本格的なレシピ付きフードマンガにトライしたのが「何食べ」である。

表現がマズいはずがない。