ポスト安倍・菅官房長官の最優先課題は「辺野古と馬毛島」

巨費を投じたが見通しは立たず…

目に余る迷走

訪米し、ペンス副大統領らトランプ政権の主要閣僚と会談した菅義偉官房長官は、厚遇を受け、大満足で帰国した。「菅派」の立ち上げなど、「ポスト安倍」に向けた動きを本格化させるのではないか、と目されている。

拉致・北朝鮮問題と合わせ、菅氏が訪米の目的としたのは、「辺野古」と「馬毛島」である。沖縄基地負担軽減担当相として、普天間飛行場の辺野古移設を推進、米空母艦載機の陸上離着陸訓練(FCLP)候補地の馬毛島(鹿児島県)を買収しなければならないが、いずれも大幅遅延が避けられず、菅氏はシャナハン国防長官代行に理解を求めた。

 

それにしても、辺野古移設の迷走は目に余る。

県民投票と県知事選と先の衆院沖縄3区補選の3回の投票で、沖縄県民は辺野古移設に反対の民意を示した。しかも、「これまでの工事資金を参考にして」という大雑把な数字ではあるが、玉城デニー知事は、「移設費用は2兆5500億円で工期は13年」という驚愕の見通しを明らかにした。

防衛省が、14年に修正発表した総事業費が2405億円なので10倍超。しかも本来の目的は、墜落事故が相次ぐなど市中にあって危険な普天間飛行場を早期に移設、騒音被害を合わせて除去するというものだったのに、忘れられているかのようだ。

辺野古移設には、22年の歴史がある。

96年4月、政権を担っていた橋本龍太郎首相(当時・以下同)は、懸案の普天間飛行場を移設させることでモンデール駐日米大使と合意、「5年ないし7年後の全面返還」と、発表した。その移設先として県内の数カ所が候補にあがり、最終的に選ばれたのが名護市辺野古のキャンプ・シュワブ隣接地だった。

場所は決まり、焦点はどんな「代替施設」とするかが焦点となったが、橋本首相と大田昌秀知事の間では、「将来、撤去可能な浮体工法での基地建設」で、基本合意がなされていた。浮体工法とは、海上に浮かせるもので、箱工法、半潜水工法、浮体桟橋工法の三つが候補としてあげられていた。詳細は省くが、要は海上に巨大構造物を設置するのである。

私は、当時、橋本首相の後援会である「沖縄昇龍会」が、移設利権に関わっているという情報をもとに、講談社の月刊『Views』(97年7月号)で、辺野古移設に絡む本土ゼネコンと沖縄地場業者のせめぎ合いをレポートした。

この時点で、「撤去可能な浮体工法」は、鉄鋼、造船、ゼネコンなど本土大手の思惑に過ぎず、地元建設業界は、埋立案で一致していた。地元最大の國場組会長、沖縄商工会議所会頭などが、「埋立案」の青写真を前に、「埋め立てでなければ、沖縄には何のメリットもない」と、明言した。

だが、沖縄県民は揺れた。97年12月に行なわれた名護市の市民投票では、反対が53%で賛成を上回った。これを受けて大田知事が移設反対を表明するものの、98年2月の名護市長選、同年11月の県知事選では、いずれも賛成派の首長が誕生する。

だが、反対派への配慮で移設工事には着手できず、すくみ合いのまま06年5月、日米政府は「辺野古沖にV字型滑走路」という現行案で合意に至る。「地元配慮」は忘れられなかった。

しかし「5年から7年」という期限はとっくに切れ、09年に民主党政権が誕生、鳩山由紀夫政権となって、「最低でも県外」と公約。名護市や沖縄県は、政府の方針変更に揺れ動く。14年11月の知事選では「辺野古移設反対」を掲げた翁長雄志知事が誕生。以降、沖縄県の政府と対立する立場が明確になり、玉城知事に引き継がれた。

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