亀田誠治が誰よりも本気で「音楽教育」に注力するこれだけの理由

だから僕は「日比谷音楽祭」をつくった
柴 那典 プロフィール

J-POPは日本が世界に誇る文化

――音楽プロデューサーは、いわばデビューを果たしたアーティストのために働くお仕事ですよね。亀田さんの発信は、それだけでなく、下の世代、まだデビューする前のアマチュアミュージシャンを見据えたものになっているとも思います。

そのとおりです。「亀の恩返し」という自分のオフィシャルウェブサイトを立ち上げてそこでベース奏法の解説動画を公開するということを始めたのもYouTubeが広まった頃で、とにかく自分の持っているものを次世代に渡していこう、伝達や教育をやっていこうと覚悟を決めたんです。

僕は音楽業界を本当に愛していて、こんなに素敵なエネルギーが満ちあふれている世界は他にない、一人でも多くこの世界に入ってきてもらいたいと思っています。

僕は幸運にも常にトップアーティストと一緒にお仕事をさせていただけるチャンスがあったんですが、そういった方々が見ている景色を、これからアーティストを目指そう、音楽を始めようという次世代の人たちに少しでも感じ取ってもらいたいんです。

曲というものは、ただ単に天から降ってくるように生まれたのではなくて、作り手はこういう努力をして、こういうことに心血を注いで、そこには音楽制作を支えるディレクターやエンジニアやサポートミュージシャンなどいろんな人の働きがあって、結果として綺羅星のような一曲が生まれてみんなの心の中に届いていくんですね。そういうことを伝えたいとずっと思っています。

――『亀田音楽専門学校』以降の変化としては、「J-POP」という言葉がポジティブな意味合いで使われることが一般的になったことも大きいと思っています。

90年代は「J-POP」という言葉に、洋楽に対してのコンプレックスから生まれた売れ線の流行音楽だという、ある種の揶揄するようなニュアンスもあった。

そうですね。それはもどかしかったです。

――そうではなく、J-POPが誇るべき自国の音楽文化であるというイメージが形成される一つのきっかけになった番組だと思っています。

ありがとうございます。番組の前口上でも必ず僕は「J-POPは日本が世界に誇る文化です」と言わせてもらってきました。

でもその一方で、さきほど言ったように、ニューヨークのような海外と比較して文化としての幹が細いと思っていたんです。種や根はあるけれど、もっと育てていかなければならないという葛藤がずっとありました。だから教育にもっと力を入れたいと思っていたんですね。

『亀田音楽専門学校』にしても『BEHIND THE MELODY ~FM KAMEDA』にしても、僕が作っているコンテンツは全部僕が自分でテーマや構成、オファーするゲストを考えています。だからすごく大変です。でも、自分のスキルやテクニック、レシピは全部オープンにして見せたいんです。

――そこまで教育に力を入れる理由はどこにあるんでしょうか。

やっぱり、次世代に音楽の素晴らしさを伝えていきたいからです。僕らの先輩たちが作り上げた素晴らしい音楽のDNAを、僕を介して次世代につないでいきたい。そういうバトンの渡し役になりたいということを常に考えています。そこがブレたことは一度もありません。

そして、もう一つの理由としては、そのことによって僕自身が進化していきたいからですね。自分自身の持ってるものを全部オープンにして次の世代に渡してしまって、自分はもっと新しい次の場所に行きたい。だから、一昨年から海外に行くようになり、ロサンゼルスではコライトを始めています。

――コライトというのは?

 

今の音楽シーンでは、海外のヒット曲は何人ものソングライターやプロデューサーが協力して作っているんですね。メロディを作る人、リズムを作る人という、ある種の分業制になっている。それを現地で体験しようと思ったんです。

そこでロサンゼルスに行って、自分でレンタカーを借りて自分で楽器を持って自分でスタジオに行って、当選するかどうかわからないようなコライトをゼロからやっています。

――そうやって海外でゼロからコライトの経験を積もうと考えるようになったきっかけはどんなものだったんでしょうか。

チャートを見てもシーンを見てもJ-POPシーンに閉塞感をすごく感じていたんです。その一方で日本の音楽産業はグローバルな目線が欠落しているとも思っていました。

『亀田音楽専門学校』もあって、いろんな賞もいただいて、「J-POPのマエストロ」という呼ばれ方をされるようにもなった。

でも、先頭に立つ僕自身がそういう巨匠のようなところにとどまらず、行かなくてはならないのではないか? そのためにはグローバルな目線と経験が必要ではないか? ということを4年ぐらい前から考えはじめた。その時にちょうどコライトの存在を知ったんです。

テイラー・スウィフトやアデルなど、いろんな洋楽のアーティストがコライトの手法で曲を作っている。そういうことを知った頃には、東京で一緒にやっていた僕の仲間たちも同じことを考えていたんです。

たとえばヒロイズムくんはL.Aに移住してコライトをするようになっていた。そういう中で、どこまで自分の作品をグローバルに届けていけるかを、自分自身のスキルや経験として蓄えていこうという風に思いました。

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