改元の今こそ、明治維新が否定した「江戸」を再評価せよ

浮かれた空気に一石を投じる
原田 伊織 プロフィール

新時代のグランドデザインを描く「よすが」

この愚行に神職や神社は罪はない。そして、大和心に反して無理やり神性をもたされた天皇こそ、最大の被害者であったと言うべきであろう。

大体江戸時代とは、浅薄な一元思想によって全否定され、埋め去られていいような時代ではないのだ。

明治人は西欧のミニチュア模造品のような社会を目指したが、江戸社会にはオリジナリティがあった。このことは、江戸人のライフスタイルや生き方そのものによく顕れている。そのライフスタイルこそが、持続可能な社会を実現させていたのである。

 

『Just Enough ;lessons in living green from traditional japan』の著者である金沢工業大学未来デザイン研究所所長のアズビー・ブラウン氏は、新しい時代に求められる「持続可能な社会のエキスは、江戸期の農村社会にある」と指摘している。

―江戸時代の日本人は実に賢明で美しいライフスタイルをもっていた。それを生んだ日本の伝統的な価値観や思考様式を理解することは、地球上のすべての人に大きな恩恵をもたらすにちがいない。江戸時代の日本人はすばらしい快挙をなし遂げ、それは世界を豊かにした。日本人はそのことを誇りに思うべきだ。―

江戸期日本が如何に上質な社会であったか、庶民がどれほど幸せであったかについては、官軍史観(薩長史観)に染められ、一度マルクス主義史観にも毒されてしまった現代日本人には、実は正当な評価ができないように思われる。

江戸末期から明治初期に多くの西欧人が来日し、長く滞日した者も少なからず存在するが、彼らも皆、異口同音に江戸期日本と日本人に対する尊敬、賞賛、愛情、評価の記録を多く残している。

ロシア艦隊で来日した英国人ティリーは、「建康と満足は男女と子どもの顔に書いてある」と観察し、万延元(1860)年、通商条約締結のために来日したプロシャのオイレンブルク使節団は、その報告書に「どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、外国人などいなくてもよいのかもしれない」と記録している。

また、オーストラリアからシャム、シナを歴訪して来日したボーヴォワールは「日本はこの旅行全体を通じ、歩きまわった国の中で一番素晴しい」と感じ、それが美術でも演劇でも自然でもなく、市井の人びとが与えてくれたものであることを説く。

「顔つきはいきいきとして愛想よく、才走った風があり、これは最初のひと目でぴんと来た」と感嘆し、女性たちを「にこやかで小意気、陽気で桜色」と表現し、彼女たちの帯について「彼女たちをちょっときびきびした様子に見せて、なかなか好ましい」と好意を抱き、「地球上最も礼儀正しい民族」であると絶賛している。

当時の日本人の優れた倫理観、清潔さ、陽気さ、親切、人なつっこさなどについて西欧人の証言を挙げればキリがない。彼らの生きた社会の仕組みや価値観については、令和のスタートとなった五月に刊行の運びとなった『三流の維新 一流の江戸』に拙いながらも一応の整理をしてみたので参照願いたい。

江戸社会は、確かに上質であった。その仕組みや精神は、世界史的にみても一流であったと評価できるものである。それ故に、江戸の価値観は次代を生きる「よすが」として、今、世界から熱い視線を注がれているのである。そこで完成した文化や価値観を拠り所として国際舞台に乗り出した「徳川近代」という江戸末期こそ、日本の夜明けとも形容すべき、今日の近代性に直結する時代であったのだ。

はっきりしていることは、徳川近代があと十年永らえていれば、我が国に国粋主義軍国国家は生まれなかったということである。

新しい時代のグランドデザインを描かなければならない今、社会の質が厳しく問われている。