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# 三国志

曹操を魅力的に描いたのは、吉川英治『三国志』だけじゃない!

局アナが語る「三国志の日本史」⑤

皆さん、こんにちは。ニッポン放送のアナウンサー、箱崎みどりです。

普段はラジオ局、ニッポン放送(AM1242、FM93)でアナウンサーとして働いていますが、実は、「三国志」が大好き。

今年は、特別展「三国志」が、いよいよ来月、7月9日から東京国立博物館で行われます!(10月1日から九州国立博物館で)「三国志」が改めて注目を浴びています!「三国志」について押さえておいて損はありません。

さて、私が愛する日本の「三国志」の豊かな世界。第5回は、皆さまご存知、吉川英治の『三国志』について、お話ししていきます。

連載第4回では、「三国志の日本史」を語る上で欠かせない、吉川英治『三国志』の魅力の一端に迫りました。皆さまから寄せられた感想には、「三国志」に初めて触れた作品について、また、好きになったきっかけが多く書かれていました。私と同じように、「人形劇 三国志」を挙げている方もおり、親近感を抱かせていただきました。

今回も吉川『三国志』のお話です。曹操ファンの皆様、お待たせしました! 曹操を魅力的に描き、日本での人気を後押ししたのは、吉川『三国志』と言われていますが、実際はどうだったのでしょうか。具体的に見ていきましょう。

曹操が浴びた毀誉褒貶

小説の中でその人物がどう描かれているかが、物語を追う読者が持つ、人物の印象に大きな影響を与えます。曹操をどういう人物だと考えるかは、『三国志演義』と近現代の「三国志」の分かりやすく、大きな違いです。

 

有名なエピソードに、呂伯奢の件の描き方があります。董卓暗殺に失敗した曹操は逃げる際に、旧知の呂伯奢の家に身を寄せますが……、というお話。

実は、史書『三国志』本文には呂伯奢の名前すら記載がないのですが、東晋の歴史家・裴松之が補った注釈の中に、他の書物にあったエピソードが並べられています。

蜀、そして三国を統一した西晋に仕えた歴史家・陳寿の『三国志』は簡潔すぎたため、100年ほど後に、裴松之が、内容の信憑性にかかわらず、当時残されていた様々な書物から異説を集め、『三国志』の注としてまとめたのです。

そんな裴松之の注に並ぶ、呂伯奢のエピソードは、次の通りです。

「呂伯奢は留守で、曹操は、その息子と食客に襲われ返り討ちにした」

「呂伯奢は留守で、曹操は、息子たちにもてなされたが、董卓に追われる我が身を考えて彼らを疑い殺してしまった」

「曹操は、食事を用意する音を聞いて、自分を殺そうとしていると勘違いし、家人を殺してしまった。その後、『わしが人を裏切ることがあろうとも他人にわしを裏切らせはしないぞ』と言った」

このように、史書においても、曹操の悪役ぶりが雪だるま式に盛られて、どんどん残忍な姿になっていきました。当時の歴史書から集めた記述なので、噂話についた尾ひれが大きくなったとも、曹操に恨みを持つ人々が、話を膨らませて伝えていったとも考えられますが、真偽のほどは分かりません。悪い方、悪い方へと、曹操の人物像は作られていったのです。

『三国志演義』も、読者の判官贔屓的な心情などを踏まえて、基本的には、善の劉備と悪の曹操という構図の下、主人公・劉備の最大のライバル、冷酷な支配者として曹操を描いています。

それでも、かの魯迅が「人物の特徴を強調する余り、作者の意図とは異なり、曹操が豪爽で知的な人物として描かれている」と指摘しているように、『演義』の曹操も、必ずしも悪役一辺倒という訳ではないのですが。

曹操の人間的な感情面

そんな曹操を、人間的な魅力たっぷりに描いたのが、吉川英治の『三国志』だと言われています。

 

文芸評論家・尾崎秀樹氏は、「悪玉にされてきた曹操などに同情的な視線をそそいだ」と指摘し、曹操の描き方を特色として挙げています。

また、井波律子氏も、曹操のメリットや魅力を描くことなどを通し、複合的な物語世界を構築することに成功していると言い、雑喉潤氏も、人間的な魅力を描く中で独自の曹操像に到達したとしています。

吉川『三国志』では、例えば、呂伯奢一家を惨殺した夜に、安らかに眠る曹操を殺そうか、殺すまいかと、曹操に同行していた陳宮が煩悶する場面では、「寝顔をのぞかれているのも知らず、曹操はいびきをかいていた。その顔は実に端麗であった」、劉備と曹操が梅園で英雄を語る場面では、「痩躯長面、いつも鳳眼きらりとかがやいて、近ごろの曹操は、威容気品ふたつながら相貌にそなわってきた風が見える」などと、曹操の容貌に力を入れて描いています。