『戦争を知らない子供たち』を生んだ、「いい加減」な発想

駅前の戦争と娯楽
『あの素晴しい愛をもう一度』『風』『帰って来たヨッパライ』など、名曲からみえてくる日本人の生き方とは? いい加減に生きることを許されない現代、どのように一度きりの人生を紡ぎ出せばよいのか? 作詞家として、精神科医として長年活躍するきたやまおさむ氏と、同じ精神科医である前田重治氏による共著『良い加減に生きる――歌いながら考える深層心理』(講談社現代新書)の発売を記念して、本書に登場する20曲のなかから『戦争を知らない子供たち』に関する、きたやま氏の文章を公開する。

枕元の進駐軍兵士

私たちの子どものころは、戦争や戦争ごっこは身近なものでした。遊びのなかに、戦争をテーマにしたものがいろいろあり、たとえば、学校でやる「騎馬戦」なんて戦いそのものでした。


そして、家の近くに、アメリカの進駐軍のホテルがありました。そこに米軍兵士がやって来たのですが、米軍は私たちにとって、米国文化を持ち込む華やかさと、何が起こるか解らない不気味さという両面を備えていました。若い眼科医だった生真面目な叔母は、いざという時の自死のために青酸カリを握りしめ、彼らが京都に来るのを待ち受けていたようでした。


彼らについての、私にとって恐怖の原点は、いつかの夜、目を覚ますと、枕元に進駐軍の兵隊MPが立っていたことです。それで父親が進駐軍に連れられていき、一晩帰ってこなくて、ひどく心配し、殺されたのではないかと思いながら、一夜を過ごしました。枕元に立った進駐軍兵士の姿は恐ろしい光景として、今でも覚えています。京都駅前で開業していた父は、駅前に多かった娼婦の妊娠、そして堕胎のことで、何か調べられたということでした。

日本人に尋問する進駐軍兵士(photo by Getty Images)


同時に、彼らはあの雑然とした駅前広場に、明るいアメリカ文化を持ち込んでくれたのです。それは当時の暗い文化状況にあって、一種の救いでもあったわけですね。青年時代アメリカン・ポップスやフォークソングに憧れた原点というのは、彼らがチョコレートとともに持ち込んでくれたアメリカ人の遊び方だったのです。

チョコを与える米国人兵士(Photo by Getty Images)


駅前の「米国」には、今ではディズニーランドにみられるような華やかな遊び場のはしりの、移動遊園地が広場に作られて、ジェットコースターとか、小さな観覧車まで持ってきたのには驚きました。